「スコアのしくみ:音楽を形づくる要素(4)テンポ (1)」作曲家・指揮者:正門研一氏が語るスコアの活用と向き合い方(その6)

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作曲の正門研一です。今回もよろしくお願いいたします。

スコアを読む上でつかんでおきたい「音楽を形づくる要素」についてお話を進めております。第3回第4回では、演奏者の裁量で「変えることができないもの」として「拍子」、「調性」、「音の配置全般」を取り上げました。前回(第5回)は、「変化する(させる)余地のあるもの」、「変化が期待されるもの」への導入として、「音はどう聴取されるか」について述べました。今回から2回にわたって「テンポ」についてお話します。

私はこの「テンポ」を、「変化する(させる)余地のあるもの」としています(もちろん異論があることは承知しています)。ここで私の言う「変化」とは、曲の場面ごとの違いではなく、作曲家が指示したテンポ表記そのものについてです。「変化が期待されるもの」として私が分類している「強弱」と何が違うのでしょう? 前回ご紹介したハンス・ペーター・シュミッツ(1916~1995)著『演奏の原理』では、「テンポ」も「強弱」も「ある程度なら演奏者自身が変化させることもできる特性」とされています。「テンポ」は具体的な数字で示すことができますが、「強弱」ではそれができない(と私は思っています)。それが大きな違いではないでしょうか? 「強弱」ほどの自由さがない、と言ってもいいでしょう。ある意味「絶対的」なものなのです(それに比べ「強弱」は「相対的」なもの、f(フォルテ)もp (ピアノ)があってこそ意味を持つのです)。ですから、「変化」が望まれるとしても、ある程度の制約を受ける。私の分類はそのような理由によります。

それでは、本文に入っていきましょう。

「テンポ」を巡って

モーリス・ラヴェル『ボレロ』に関するエピソードをご存知の方もいらっしゃると思います。トスカニーニが指揮する演奏を聴いたラヴェルが、早すぎるテンポに憤慨したところ、逆に「あなたは自分の音楽が分かっていない」とトスカニーニに言い返された、というものです。
作曲家にとっても、演奏者にとっても確かに「テンポ」を巡る問題、課題は常にありますよね。

今皆さんが向き合っていらっしゃるスコア、どのようにテンポが示してあるでしょうか? 多くは「メトロノーム記号」(数字)が示されていることでしょう。例えば、作曲コンクールや作品募集などでも、「メトロノームによる数字など具体的にテンポがわかるようにしておくこと」と規定されるのが一般的になっています。
場面ごとにどのような表記がされていますか?
数字が書かれている場合、その数字に何か関連性を見つけることはできますか?
少し古い作品だと、「Allegro」や「Adagio」などの表記のみで、数字が示されていない作品も多いですよね。そこから、どのように「テンポ」を設定しましょうか?

ヨハネス・ブラームスが「メトロノーム嫌い」だったことは知られていますが、周囲に対し「私がいつも自分の曲を同じように弾くようなバカだと思う?」と言っており、常に決められたテンポで弾くということはなかったそうです。ある意味「テンポ」は演奏者に委ねられていた、ということですよね(ただし、ブラームスとは違う考えの人がいたこともまた事実です)。
現代でも、「テンポ」を演奏者に委ねるということは大いにあるとは思います。逆に厳密に示そうという向きもあります。そうした、ある種の「こだわり」については後ほど触れます。
(ちなみに、一昔前の「自由さ」が失われている要因のひとつに、「録音技術」の進化があるのではないか、と私は思っています。)

さて、作曲家はどのように「テンポ」を決めるのでしょうか? 例えば、何かメロディが思い浮かんだとき、そこには当然「テンポ」が伴います。それをメトロノームで確認する、ということはあり得ます。行進曲を作るときなどは、あらかじめ「テンポ」を設定した上で・・・、ということもあるでしょう。こうした視点から「テンポ」を見る、読み解いてみることは可能でしょう。メロディ中心のテンポ設定なのか、それとも背景にまで気を配ったテンポ設定なのか・・・。これは、作曲家の能力を確かめるひとつの視点になるかもしれません。

メトロノームによる数字だけではなく、rit. やrall. 、accel. などの変化記号の付け方にも「適」、「不適」のようなものがあると私は思っています。なかば無造作に「この辺りから」くらいの付され方がされているものもあれば、フレーズや和声にしっかりと配慮した付され方をしているものもあります(こういう作品は本当に演奏しやすいです)。

拙作『巡礼:春』(Golden Hearts Publications刊)の初演の際、リハーサルでrit. の位置について奏者の方と議論、検討した記憶があります。


(「Golden Hearts Publications」出版のスコアより)

ヴァイオリンには少し窮屈だったようで、「一小節後ろにズラしたい」と提案されたのですが、私は、ピアノの音型の減速を意識している旨をお伝えしました。演奏する側の視点の大切さを改めて感じたものです(決して、妥協する、ということではありません。簡単に書き換えると、かえって「何も考えていないのではないか?」と思われかねません)。

作曲するとき、編成(というより人数)や空間を想定して、ということは当然あります(作品によっては「そこまで想定していない」と思われるものもありますが)。西村朗氏『巫楽 ~管楽と打楽器のためのヘテロフォニー』を作曲された時、初演場所となった「国技館」という空間が作品発想のヒントになったといいます。

そもそも、今向き合っている作品がどのような編成(人数)を想定して作られているかは知っておいた方がいいでしょう。それは「ウインド・アンサンブル」のため?それとも「コンサート・バンド」?「シンフォニック・バンド」?
ご自分のバンドとの違いはどうでしょう?

前回ご紹介したシュミッツ『演奏の原理』には、空間の広さや編成、声部数が音の特性(つまり、テンポやリズム、強弱など)に大いに影響する、ということが書かれています。近年は、大編成の作品を小編成に(あるいはその逆)改編した作品も見られるようです。基本的にはオリジナルのテンポがそのまま表記されているのではないかと思いますが、作曲家の意図は十分に読み取りつつも、数字にあまり縛られすぎず柔軟に検討できればいいのではないか、と思います(これは「強弱」でも同じでしょう)。
さて、作曲家の「テンポ」へのこだわりに関して次の項でいくつか触れておきましょう。

作曲家のこだわり

フランシス・マクベスというと、最近ではその作品が演奏される機会も少なくなってきたように思いますが、「テンポ」に関してこのようなことを述べています。

「作品の出版に踏み切る際は、何回かステージに上げた後、最終的にテンポを決定する。」

メトロノーム記号をつけるのは実は難しいです(少なくとも私自身は・・・)。私は、どちらかといえば「夜型人間」なのですが、夜作ったものを昼に再生すると、「??」となることが稀にあります(体調や気分の問題でしょうか・・・?)し、実際、作品を出版していただく際にテンポ表記(数字)を変えたことはあります(少し速くしたこともあれば、遅くしたことも)。時間の経過とともに作品に対する自身の感覚といったものの変化はあり得ます。例えば、ジェームズ・バーンズが自作『アルヴァマー序曲』(作曲されて40年程経っています)を指揮している録音(シエナWOやオオサカ・シオンWOなど)を聴くと、指定のテンポとは随分違うことが確認できますよね。
ちなみに、マクベスが「テンポを変えるとしてもそれは、「プラスマイナス8」程度が限度」というようなことを述べています。確かに「8」違うと随分印象も変わるように思えます。上記の『アルヴァマー序曲』もおそらく「8」以上の違いがあるはずです。テンポに幅を持たせて表記している作品も多くありますよね(私もそうすることがあります)。その幅が「8」を超えることは(あくまで感覚ですが)あまりないのではないかと思っています。

拙作『エンブレムズ』が吹奏楽コンクールの課題曲に採用されたのは1999年度でした。前年6月に第一次審査、9月に試奏審査と現在より少し時期が遅めでした。12月に録音がありまして担当は大阪市音楽団(当時)でした。
拙作はメトロノームによるテンポ指示はしていません。


(「全日本吹奏楽連盟」出版のスコアより)

ある程度自由に設定していただいて構わない、という考えでした。録音前日のリハーサルの際、指揮をとられた木村吉宏先生(去る2月24日にご逝去されました)との打ち合わせで「オーソドックスに「120」で」ということになり、録音も無事終了しました。
実は、この年度の大ヒット曲となった『K点を越えて』の作曲者・高橋伸哉さんはお仕事の都合でリハーサルのみの立ち会いでした。高橋さんは出来上がったCDを聴いて頭を抱えたそうです。リハーサルを聴いていた私もそこでどのような打ち合わせがされたかは詳しく覚えていないのですが、高橋さんに言わせると「こんなテンポではないのに・・・」。


(「全日本吹奏楽連盟」出版のスコアより)

四分音符で「120~126」という指定ですが、CDを聴いてみると「136」程度のテンポです。これは上記のマクベスの「プラスマイナス8程度」も超えていますよね・・・。随分印象が変わるはずです。“参考”演奏ですので、演奏者の「解釈」が入るのはよしとしても、これを「基準」ととらえて選曲、演奏に臨む方が多いことを考えると・・・。参考演奏CDのあり方を考えさせられる出来事でした。

メトロノームというと、表記される数字が大体決まっています(一定の法則で数が増えていきます)よね。しかし、デジタルの時代になり、最近では古い機械式のメトロノームでは示すことができなかった数字を楽譜上で見ることも多くなってきました。


(「Wingert-Jones」社出版のスコアより)

上の楽譜は人気曲、クロード・T・スミス『華麗なる舞曲』の冒頭です。上述の『K点を越えて』と同じようにテンポに幅を持たせていますよね(こうした指示は他にも多くの作品で見ることができます)。が、ここで見慣れない数字が・・・。「147」という数字は他に見たことはありません。古いメトロノーム表記に慣れている人であれば、ちょっと戸惑ってしまうのではないでしょうか? スミスがこれを作曲したのは1986年、ある意味時代を先取りしたような表記ですよね。
私がこうした表記を初めて意識したのは、10数年前サミュエル・ヘイゾ『日本の唱歌による幻想曲』を演奏したときです。


(「Hal Leonard」社出版のスコアより)

冒頭の「70」という数字がすでに、あまり見ることのない表記です。その後も・・・



いかがでしょう? 細かく数字が示されていますよね。この作品はゆったりとしたテンポに終始します。作品の背景を考えると確かに細かなテンポの変化(「揺れ」と言ってもいいでしょう)は大切なのです。作曲者ヘイゾのある種こだわりが感じられます。が・・・。
ここに見るテンポの変化(あるいは「揺れ」)というものは、「テンポ・ルバート」に近いものかもしれませんよね。
そして、このような表記、指示はもはや一般的になりつつあるのかもしれませんし、また、作曲家がどのような環境下で作品を作っているのかを知る手がかりになるかもしれません。

「ルバート」は記譜できるのか?

「テンポ・ルバート」というと、もともとは数字によって(あるいは機械的に)示されるものではないと思うのですが、現代では作曲家がこうしたところまで細かく指示することはあります。私も実際楽譜を書く際にはどこまで指示すればいいのか悩む(迷う)ところではあります(が、私の場合、最終的にはあまり細かに書き込んではいません)。

マーク・キャンプハウスも比較的細かに変化(揺れ)を書く作曲家ではないでしょうか。
下の写真は、『ローザのための楽章』の終結部です。


(「TRN」社出版のスコアより)

小節が変わる度に変化が示されています(ヘイゾとは違い、ここで見る数字は全く「違和感」ありません。キャンプハウスの指示する数字は一貫してごく一般的なものです)。
さらに言うなら、イタリア語による指示と英語による指示があることにも注目です(アメリカの他の作曲家にもよく見られますが)。皆さんはそこに何を感じますか?
キャンプハウスの旋律線には、音価(それに伴い拍子も)を変えて「ルバート」を指示しているように思えるものが時々出てきます。基本的に4拍子の旋律線と思われるものの中によく3拍子や5拍子が現れるのです。
その一例として『ファンタジア』という作品を。


(「Alfred」社出版のスコアより)

冒頭の旋律は『Black Is the Color of My True Love’s Hair』という民謡(伝承歌)です。実はアルフレッド・リード『シンフォニック・プレリュード』にも使われていますので、聴き比べてみると面白いかもしれません。(民謡ですから、拍節に収めることは本来難しいと思われます。キャンプハウスはその辺りを考慮しているのではないか、とも考えられますが・・・)

「ルバートを記譜する」ことへの賛否はあると思います。アルテュール・オネゲルは、ルバートを厳密に記譜することが複雑化、読譜の難しさの要因になると指摘しています。
ただ、「五線紙」に全てを書き表すことができないなかで、作曲家がどのように想いを伝えようかと日々考えているのだけは確かです。作曲家が示す細かな指示の裏には大きな想いがあることだけは知っておいていただきたいと思います。だからと言って、その数字に「忠実」であろうとするとかえって「感情」を伴わない音楽になってしまう・・・。そこが音楽の不思議、難しさでもあります。

おわりに

スコアに向き合ってまず確認するのは、「テンポ」と「音の並び」ではないでしょうか?「このテンポでこの音の並び、技術的に難しいな(あるいは、易しいな)」という見方にどうしてもなってしまう、という方もいらっしゃると思います。確かに「テンポ」というものは音楽表現の上では重要な要素です。が、指示された表記を再現することは絶対的な目標ではありません。繰り返しになりますが、実際の演奏にあたっては空間の広さや編成(人数)、声部数などが大きく影響しますし、作曲者がどのような環境の下でそのテンポを設定しているかも実は関わっているように思うのです。

ピアニストであり指揮者でもあるダニエル・バレンボイムは、「作曲家がメトロノーム記号を記入する時には、まだそれは想像上のものであってサウンドとしての重量が無く、どうしても速く設定されがちである。」と言っています。私たちが向き合っているスコアはすでに出版されたものがほとんどであり、十分吟味されたものであるとしても頭の隅にでも置いておきたい言葉です。そして、「テンポ」だけで話を進めることがいかに難しいことであるか、つまり、「強弱」や「アーティキュレーション」、「和声進行」などとの関わりの中で本来語られる、検討されるものであることは確認しておきたいと思います。

できることなら、あえて数字によるテンポ表記を見ずに(どうしても目に入ってきますので難しいとは思いますが・・・)スコアを読み進め、自分なりに「テンポ」を読み取っていくことを試してみるのもいいのではないかと思います。また、数字による指示がされていない作品に多く向き合ってみるのもいいですね(まずは音源に頼らずに)。

次回は、2つの作品を例に、「テンポ」の関連性をどうとらえるか、という話を中心に進めたいと考えています。

今回もお付き合いいただきありがとうございました。


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正門研一氏プロフィール:

武蔵野音楽大学卒業(音楽学)。
1998年、第9回朝日作曲賞(吹奏楽曲)入選。
2003年4月~2005年12月、北九州市消防音楽隊楽長。
2006年1月~2017年3月、大分県警察音楽隊楽長。
2008年、国民体育大会等の式典音楽制作及び式典音楽隊指揮。
行進曲「エンブレムズ」(1999年度全日本吹奏楽コンクール課題曲)をはじめ、吹奏楽、管楽器のための作品を多く作曲。
作品は国内のみならず、アメリカなどでも演奏されている。
作編曲活動のほか、コンクールの審査員や研究、執筆活動も行っている。




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