「Cheer Up! みやぎ」提携インタビュー:打楽器奏者 會田瑞樹さん




打楽器奏者として活躍著しい會田瑞樹さん。

6月にセカンドアルバム『ヴィブラフォンのあるところ』をリリースされた。作曲家の薮田翔一氏、湯浅譲二氏などによるヴィブラフォンのための作品はヴィブラフォンという楽器の魅力や可能性に驚かされる曲ばかりで聴きどころ満載だ。

仙台のご出身で、この8月には仙台にてリサイタルが開催される。リサイタルを前に帰省なさった會田さんに、アルバムのことや音楽人生などたっぷりお話を伺った。

また今回のインタビューには、Cheer Up!みやぎコーディネーターの指揮者 畠山渉も同席して充実した音楽対談となった。

—まずは6月7日リリースのニューアルバム『ヴィブラフォンのあるところ』についてお伺いします。先日、薮田翔一さんの《Gush ~Concerto for Vibraphone and Orchestra~》を初演されたばかりですが、このアルバムには薮田さんのまた別の作品《Billow 2》が収録されているんですね。

會田:はい、《Billow 2》は独奏の作品ですね。《Gush》のほうはヴィブラフォンとオーケストラのための協奏曲です。

—《Gush》の動画を拝見すると、一曲の間に何度もマレットの使い分けをされていて驚きました。

會田:そうですね。一曲の間に何回も替えることもあります。曲によっても変わるので毎回の荷物がマレットだけでスーツケース2個分ぐらいになりますね。100本ぐらい持っていきます。

畠山:何本で1組ですか?

會田:基本、2本1組ですね。4本持つ時は2組使うということです。

—6本持つ方こともあるのでしょうか?

會田:僕は4本バチですね。ヴィブラフォンですと3オクターブと音域が広くないので、4本バチで間に合っていますね。

—マリンバを演奏される時は6本ですか?

會田:いや、僕はマリンバの時もあまり6本バチは使いませんね。これは個人差があると思いますが、僕は6本バチはあまり可動がいいと思わないので、4本バチでやっていますね。

あと2本バチを駆使するというのもとても大事だと思っていて。ヴィブラフォンはジャズ由来の楽器なわけですけど・・・。MJQのミルト・ジャクソン、大好きなヴィブラフォン奏者なんですけど、彼は終生2本バチで演奏し続けていたはずです。今年、演奏活動を引退すると宣言したゲイリー・バートン、彼がおそらく4本バチを積極的に使い始めたJAZZジャズヴァイビストの一人だと思います。そういう意味ではJAZZの歴史からも勉強になることが多いですね。

—ジャズではどのあたりを聴かれますか?

會田:今の話に出たミルト・ジャクソンは大好きだし、ドラムはアート・ブレイキーが本当に好きですね。本当にこのあたりは勉強になるんですよね。《チュニジアの夜》とかかっこ良くて。セッションによっても雰囲気が違うのもまたいいですよね。同じ曲でも随分感じが違うなあと思って。そういうところにやっぱり音楽が息づいている。ものすごく勉強になります。

—1stアルバム『with…』で《ヴィブラフォン独奏のための三章》を書かれた水野修孝さんも幅広い音楽を作曲されていますが、ジャズの曲も作っていらっしゃるそうですね。

會田:水野修孝先生は1970年代にジャズの演奏家と組んで多くのジャズオーケストラのための作品を作曲されました。この《ヴィブラフォン独奏のための三章》は完全にジャズのイディオムがベースになっています。水野先生のそういう作品からもかなり勉強になっていますね。

—そしてこのニューアルバム『ヴィブラフォンのあるところ』は、前半後半5曲ずつChapterに分かれているんですね。第一章、第二章ということで趣旨を変えているのでしょうか?

會田:そうですね。趣は変わっていると思います。Chapter Iの”軌跡”というのは、音がどこに向かっていくか、というような5曲なんですね。”軌跡”というのは英語でlocusっていうんですけど、5曲目が湯浅譲二先生の《ヴァイブ・ローカス》とう曲で、ヴィブラフォンが描く音の軌跡を示していて。聴きどころとしては、一見、すごく音が散り散りになっているようなんですけども、作品ごとにどこか一点に集約していく、ゴールを目指しているというような感覚で聴いて頂けると楽しめるんじゃないかと思ってます。

Chapter IIに入ると、”超越”っていうのは、ほとんどヴィブラフォンを聴いているのか、ヴィブラフォンっていうイメージが壊れていくというか、”こんなこと出来たんですか?”みたいな、どこからこんな音出してるんだろうみたいな、そういうのがかなり多いので、この5曲からそういうものを感じて頂けるんじゃないかなと思い、”超越”と名付けております。

—2曲目の《Luci serene e chiare》は、後期ルネサンスの作曲家カルロ・ジェズアルドの声楽曲を白藤淳一さんがヴィブラフォンの為に編曲なさったのですね。5声部の声楽曲をヴィブラフォンソロで!という発想に驚きました。これは白藤さんのアイディアですか?

會田:白藤淳一さんとは薮田さんの紹介で出会ったのですが、クラシック音楽への確かな眼差しを持たれている作曲家でもあります。編曲は、作曲とはまた違って「原曲」があるわけなのですが、深いセンスを問われるものです。僕も白藤さんもジェズアルドへの興味があり、お互いにヴィブラフォンで出来たら面白いだろうと意見が一致し、此の度の編曲を手がけてくださいました。

—アルバムの最後は、フランスの作曲家マラン・マレの《夢見る人》を會田さんが編曲。美しくちょっと寂しく切ない曲ですね。この曲との出会いのきっかけは?會田さんは編曲なさる時に心がけていることはありますか?

會田:マラン・マレは太陽王ルイ14世にも仕えた音楽家です。国王の庇護のもと、実験的な試みも含めてかなり現代の感覚に近い作曲を手がけていた希有な人物でもあります。何百年も前に生きていた作曲家なのに、とても斬新です。

この作品は真夜中に眠れない日があり、Youtubeでネットサーフィンをしていました。その時に偶然この作品を知り、刹那的な旋律に魅せられたのでした。編曲は奏者の仕事としても重要な側面の一つだと思っています。ヴィヴァルディなど、バロック期の作品をこれからどんどん編曲していきたいと考えています。やはり、ヴィブラフォンから原曲とは異なる「未聴感」ある編曲が出来るように心がけたいと考えています。

畠山:このアルバムでは、特殊な奏法をしている曲もありますか?

會田:いっぱいありますね。オリジナルなバチを作ってくれと言われたり。作者がヴィブラフォンを爪で引っ掻いたような音を出したいというので、東急ハンズに行って、ほうきとビーズを買ってきて、1個1個付けて。これは6曲目の《Wolverine》という曲ですね。爪のジャッ!という音のイメージ。音で表現されていて。
7曲目の《color song IV》というのは”anti vibrant”というサブタイトルが付いてまして。vibrantは華やかさだったり輝きというヴィブラフォンの持つ個性に対してアンチって書いてますから、それを拒否するようなイメージ。

畠山:それをあえてヴィブラフォンでやるんですか(笑)。

會田:それをヴィブラフォンでやるわけですね(笑)。冒頭から音盤を拳で叩いたり、爪や関節などを使って表現しています。マレットも叩くのではなくて、こする。まったく、不思議な感覚になることうけあいです。

畠山:打楽器をヴァイオリンの弓でボーイングしたりスーパーボールでこすったりするとかよく聞きますけど、爪っていうのは面白いですね。

—3曲目の《Music for Vibraphone》(作曲:渡辺俊哉)では、後半ビリビリしたようなノイズにドキッとしたのですが、どうやってこの音を出してるんだろう?と思いました。またポルタメントというのでしょうか、音程が変わったりしてる箇所もありますよね。

會田:このノイズは「紙」を干渉させています。実に独特のサウンドになりますよね。ポルタメントも多用しています。音の変化に耳を傾けていくと、浮遊しているような感覚になるのではないでしょうか。

—打楽器もいろいろな特殊奏法があるんですね。銅鑼をマレットでこする奏法もありますものね。以前、吹奏楽コンクールで《メトセラII》を自由曲でやった時に銅鑼をマレットでこする奏法をやったことがありますが、女の人の声みたいな不思議な音が出てビックリしました。

會田:田中賢先生の曲ですね。僕も《紅炎の鳥》って曲を演奏したことあります。
田中賢さんで思い出したんですが、田中賢さんには僕の師匠の吉原すみれ先生が新作を委嘱してるんですよね。《Echo from South》という曲で、CDも出ています。田中さんと、すみれ先生のやり取りの中で、すみれ先生が銅鑼をこすったりとか色んな打楽器の奏法を教えたみたいなんです。その後何年かしてメトセラが出てきた時、すみれ先生が「私が教えたこと全部うまいこと使ったって思った」って仰ってましたね(笑)。

—會田さんの師匠である吉原すみれさんは、一時期TVにもよく出ていらした著名なパーカッショニストですね。會田さんからみて、どんな方ですか?

會田:僕にとっては憧れの先生でもあるし、先生から教わったことが現在に繋がっていますね。音に対して厳しく執着されるというか、一音一音紡いでいくことの大切さだったり、作曲家の様々な楽譜の中にある細やかなニュアンスとか、フォルテなのか、フォルテシモなのか。そういう細かなところまで、見落としそうになるところまで厳しく教えて頂いたことは今も自分に生きています。

—會田さんが武蔵野音大にいらした時に出会われたのでしょうか。

會田:そうですね。僕は元々中学生の時にすみれ先生のCDに出会って、自分はソロの打楽器奏者になりたいと思うようになりました。武蔵野音大で、すみれ先生が教鞭をとられていることを知った時に、やっぱりこの大学に行くしかないな!と思い、そういう経緯で入学しました。

—吉原すみれさんのご主人は打楽器奏者の山口恭範さんですね。山口さんに教わったりもしていたのでしょうか?

會田:山口先生に教わることはなかったのですが、一緒に飲んだり、やはりご夫婦の共演も多いので舞台裏に手伝いに行ったり。そうすると、どんな楽器を使っているかとか、どんなバチを使っているかとか、スーパーボール奏法にしてもスーパーボールが10種類以上あったりするんですよね。細部にまでこだわったりしているのは勉強させて頂いてますね。

—吉原すみれさん、山口恭範さん共に武満徹さんの曲を演奏なさったり、親交も深かったそうですね。武満さんの思い出話なども聞かれましたか?

會田:相当ありましたね。武満さんの曲を演るときはものすごく厳しくて、一度《雨の樹》という曲を演奏したことがあるんですけど、恐ろしいほどの細部までの音へのこだわり。武満さんの物腰というんでしょうか、口調だったり喋る単語だったりに、すみれ先生たちは影響を受けたと仰っていました。

畠山:武満さんの曲は「楽譜」という感じがしませんよね。

會田:そうですよね。ちょっと絵画作品みたいなところがありますね。

畠山:以前、武満さんのオーケストラのスコアを勉強したことがありますが、まず段数が凄い。いろんなパートがあったりして。それに、1拍目、2拍目とかそういう概念じゃなくて、進んでいってくという感じが凄い完璧だなと思って。指揮者にとっては本当に難しい(笑)。

會田:山口先生は《ムナーリ・バイ・ムナーリ》という曲をよく演奏されていて、あれは完全に切り絵の絵本というか、世の中には確か3冊しかないのかな?ブルーノ・ムナーリという美術家の絵を武満さんが切り貼りして、絵の色彩から音を生み出していきなさいという。武満さん自らが書き込んだ暗示的な言葉もいくつか書いてあります。やはり武満さんの音楽っていうのは、ちょっと詩人的な要素が強いんだろうなあって僕は思いました。
まだまだ恐れ多くて手を出せないので、まあ何年かした後に取り組むことになるのだろうか?と自分の中で思っていて。ちょっと時間がかかるなあというのが本音です。僕自身が様々な経験をしなきゃいけないし、作品を演っていかなきゃいけないなあって思います。

—會田さんは、マリンバ奏者の神谷百子さんにも師事されていたそうですね。神谷さんはどんな方ですか?

會田:神谷先生は本当に気さくな人なんですけど、マリンバの前にガッと立った時の鋭い集中力だったり、音の出し方というものをものすごく教えて下さって。2時間ぐらい1音だけを叩き続けたこともありました。そういうレッスンを受けたことがありますね。曲をやるんじゃなくて、何かの曲の冒頭部分だけで2時間ぐらいずーっと稽古つけてもらったことがあって、とても勉強になりましたね。あれが無かったら、今のヴィブラフォンの音の出し方とかストロークというんですかね、奏法的なものに対してちゃんと目を向けられなかったんじゃないかと思ってます。
すごくチャーミングな方なんですけど、ひとたびレッスンになるとものすごくしっかり教えて下さったので・・・。大学に入ってから吉原先生と神谷先生のお2人に習えたことが僕にとっての土台になっています。

—打楽器は設置が大変ですよね。防音しない限りご自宅には置けないでしょうし、どのような場所で練習されているのですか?

會田:音出し可能なアパートに住んでいるんです。アパートといっても7.5畳で、そこに5オクターブのマリンバと、3オクターブのヴィブラフォンを並べていて、その下で寝ています(笑)。

—それは凄いですね!

會田:ものすごく狭い場所で暮らしてます。ある意味、音楽室で寝てるような状態ですね。常に音楽を考えていられるし、セッティングが上手くなりましたね。狭いところで組み立てるわけですから。楽器は自分の手の届く範囲にしか置くことが出来ないから。大学には大きい部屋があるからついつい雑然と組んでしまいがちなんですけど、かえって今は狭いところで工夫するようになりましたね。

—會田さんは、ヴィブラフォンとマリンバの演奏が多いイメージがありますが、他の打楽器も一通りされるわけですよね。

會田:そうですね。スネアドラムのソロにも力を入れていますね。昨年、演奏家仲間とフランスに行ってきたんですけど、その時はスネアドラムのソロの曲をフランスの街でやって、それは凄く評判が良かったですね。日本的なリズムを西洋の感じでミックスしたような作品だったんですが、皆さん、すごく集中して聴かれていたのが印象的で。スネア一台の魅力というのもこれから掘り出していきたいと思っています。

—1日の練習時間も相当な量なのでしょうね。

會田:あまり考えてないです(笑)。とことん、やれる限りはやりますね。ただ自分の調子もあるから、身体と相談しながらというのが大事だと思います。

—初演作品を演奏する機会が多いことでのプレッシャーについてはいかがですか?

會田:初演するというのは、大体作曲家も立ち会われていて、皆さんそれぞれご自分の思い入れを込めて作曲されているので、そういうものを一つ一つ音にしていく責任というものは重大ですよね。その作品がより良く音楽として立ち上がる為に演奏家は不断の努力を重ねるしかないと思っているので・・・やっぱり頑張らなくてはいけないと思いますよね。これは演奏家の使命だと思います。
でもそれは、ベートーヴェンを演るにしても、今生きている作曲家を演るにしても同じことだと思うので。演奏家というのは楽譜から何を読み解いていくかっていうことが本当に大事だと思っています。

畠山:作曲家が生きているというのは、奏者にとってすごく幸せなことだと思うんですよ。リハーサルの中で実際に作曲家に聴いてもらう機会というのがありますよね。そういった時に「僕はこういう風な想いがあって」とか解釈を聞いた時に、會田さんの演奏と作曲家の想いのところで食い違うこともあると思います。そういう時に、どういう風に初演まですり合わせていくんですか?

會田:初演の時は僕は作曲家の言うことをきくようにしていて、2回目以降からだんだん僕の方にもちょっとすり寄らせていきながら最終的にいい部分にたどり着くまで、最低でも3回は演奏しないとダメだと思っています。まだ3回に達していない曲が沢山あるんで、やらなきゃいけないこと沢山あるんですけど・・・。いろんな方と話していて思うのは、やっぱりある意味作曲家というのも自分の子供のような存在である作品を自分から切り離していくまでっていう時間が結構かかるらしいんです。
自立して親離れしていく状態にまで持っていくには、演奏家がかなり理解して演奏して、それは解釈の部分でのすり合わせはもちろんのことなんですけども、本当に僕らの身体の中に入れ込んでしまうぐらいに演奏するってことは相当大事なんじゃないかな。それが”始まり”なんだろうなって思います。

畠山:僕がモーツァルトやベートーヴェンなどクラシックの楽譜を勉強する時にいつも言われるのは、「作曲家の意図をくみ取りなさい」っていうことなんですけど、初演をされる方々というのは、そういうチャンスに恵まれているから、羨ましいなあってシンプルに思いました。

會田:結局モーツァルトもそれでいろいろな演奏方法が出てきたわけだから、そういう意味ではいまモーツァルトが生きていたら、自分の作った曲が演奏されているのを聴いてびっくりするのかもしれないし、喜ぶのかもしれないし、分かんないですけど・・・

畠山:會田さんが演奏された後に、作曲家が楽譜に書き加えるとか、そういうことはあるんですか?

會田:ああ、そういうことはしばしばあります。

畠山:作曲家もちょっと初演の時は不安だったり?

會田:不安もあるし高揚感もあるし様々でしょうね。音楽って生のものなのでいろいろなことが起きるじゃないですか。そこからまた何が紡げるだろうか?っていう。
一回演ることでまた見えてくるものがあるのは大きいと思うんですよね。だから僕は、「演った。おしまい」っていうんじゃなくて、初日が出ると、これからじゃあどうしていこうかな?って思うんで、こういうところが出来なかったから、こういうことが出来るんじゃないかなあとか、あるいは作曲家もここの音は書き替えようってなると、僕はそれはいいことだと思ったり、あるいは「いや、そのままでいいでしょう?」って言ったり。そうやってすり合わせていくことがとても大事なことなんじゃないかなと思ってます。

笑い話ですけど、初演の時は、作曲家が3日前に書き上げるなんてことも中にはあるんです(笑)。そうすると3日で弾けっていうのは、やってやれないことはないんですけど、こっちの方も理解してないじゃないですか。3カ月前に渡された曲と3日前に出来た曲なら、3日前に出来た曲は”止まらないで演奏出来て良かったね”みたいになってしまいます。でも、それでも大事なのは、音になったことによって、作曲家も気付くこともあるし、演奏家も一回初日を出すことで次の自分が何が出来るだろう?みたいなことを考えることが出来るから、やっぱり演奏家は場数を踏んでなんぼみたいなところがあるように思っていて、”現場100回”っていうんでしょうか?そういうのが一番大事なんじゃないかなと思ってますね。

—納得です。

會田:徒然草にも同じようなことが書いてあって。「能をつかんとする人」(注:徒然草第150段)って題目の部分なんですけど、とにかく下手でもいいから舞台に上がれ、そうしているうちに上手くなっていくから、って兼好法師が書いてるのを高校の時に読んで「ああ、いい言葉だな」ってすごく思ったんですよね。じゃあ、俺もそうしようって思って。
ちょっと下手でもとにかく何度も舞台に立って、そしり笑われたりすることにはビクビクしないで、舞台に立ち続けるといつの間にかそういうものがつかめるようになってると思うよ、みたいな文章だったんです。

畠山:いい言葉!

會田:それを肝に命じよう、とずっと考えながら舞台に立っているという感じですね。

—数々の作曲家の作品を演奏されているわけですが委嘱作品がかなりの数ですよね。

會田:委嘱は60曲ぐらいで、初演している曲が140曲ぐらいになっていると思います。僕からお願いしている曲もあるけれども、作曲家の方からやろうよと言って下さる曲も半分以上ありますね。お互いに共同作業し合っていくということなのかな、と思っています。

—ご高齢の作曲家との交流も多いですよね。何か印象的なエピソードなどあればお聞かせ頂けますか?

會田:例えば湯浅譲二先生は今回のCDに入っている曲を書いて下さったのが2015年ですが、例によって1週間前に完成しました(笑)。徹夜で書いたというので、朝に電車に乗って譜面を取りに行きました。そんなこともありましたし、それもさっきお話した通り初日を出してから何度も演奏して、こうしてCD収録にまでこぎつけたというのが一つのいい例だと思っています。
間宮芳生先生も、立ち合い稽古の時に奥様と一緒に聴いて下さったり、本当に得難い経験だなあと思っています。
年長の先生の様々な経験・・・戦争を経て音楽家として身を立てて行くまでとか、一つ一つの経験談は、僕お酒大好きなんで一緒に飲んだりするといろんなお話が勉強になってますね。

—若手作曲家では薮田翔一さんの曲を演奏されることが多いのですね。薮田さんはどんな方ですか?

會田:そうですね。最近薮田さんとの仕事がものすごく多いです。もう8曲ぐらいご一緒してるのかな?
飄々としているんですよね。せかせかもしてるんですけど、なんとなく何かに追われているようにバタバタしている方でもあります。写真の撮影もお好きで、本番の時にもちろん立ち会って聴いても下さっているんですが、いつの間にか僕の写真を撮ってるんですよね。CDやリサイタルのチラシにもその写真を使っています。こだわって撮られていて・・・そういう意味でもアーティストだなあと思いますね。いろんなことが出来て多彩な人で、すごく尊敬しています。

—會田さんは中学、高校と吹奏楽部に入っていらしたそうで、そのあたりのお話も伺いたいですね。まず楽器との出会いは幼少の頃、ヴァイオリンを習っていらしたとか。

會田:母親がギターを弾けるようにさせたくて習わせたらしいんですけど、僕はヴァイオリンの稽古が嫌で。あまり手が大きくないので逃げ回ってたんです。でも音楽を聴いたりするのは好きだったから、辞めたいとは思わなかったけど、習うのはイヤ!みたいな(笑)。

—ヴァイオリンは何歳ぐらいまで続けたのですか?
會田:結局中学2年までダラダラと(苦笑)。でも、今に繋がっている面はあって。ヴィブラフォンは弓で弾くこともあるんですよね。弓は持ち慣れているから、ラクかもしれない。

—ヴァイオリン用の弓を使うんですか?

會田:はい、ヴァイオリン用のを使ったり、コントラバス用のを使ったりします。

—12歳の時、打楽器と出会ったそうですね。

會田:小学校の合奏団です。音楽の先生が私物のドラムセットを持ってきたんです。あまり小学校にはそういうのが無かったから、いきなりドン!とドラムセットが来た時に、「わー、かっこいいわ!俺はこの楽器をやりたい!」って思っちゃったんですよね。 あれが直に太鼓と出会ったきっかけだったんですよ。
当時ビートルズとか聴いてたんで、同級生がCDを持ってきたんです。「ヘルプ!」とか聴いてすごくかっこいいなと思って。真似出来るかもしれないと思って耳コピーしてこっそり音楽室に忍び込んで練習したりして。先生たちも許してくれていて、結構自由に触らせてもらった時代があります。

—中学校に進学されて吹奏楽部に入ったのですね。
會田:その時の顧問の先生には本当にお世話になって。僕は当時ブルックナーを好きになっていたんですが、いろんな話を聞かせてくれました。決してコンクールで強い学校ではなかったけれど、夏季合宿なんかもあって、先生が夜にチェロを弾いていてその音色が聴こえてきて・・・バッハの《無伴奏チェロ組曲》を弾いてたんです。そういうものに触れて、やっぱり音楽って素晴らしいものだなあっていう風に思うようになりました。
顧問の先生に、「そんなに音楽が好きなら先生に習ってみなさい」って言われて、仙台フィルハーモニー管弦楽団の佐々木祥先生を紹介して下さったんです。中学のその時点でその後を決定づけるような出会いがありましたね。

—會田さんの才能に気付かれて見出して下さったんですね。

會田:今でも感謝してます。

—高校では、仙台二高吹奏楽部に入られたんですよね。

會田:はい。なぜ仙台二高の吹奏楽部かっていうと、僕が中学の頃に二高の吹奏楽部は《元禄》(櫛田てつ之扶作曲)っていう曲をやってて、東日本学校吹奏楽大会に出たりコンクールの東北大会にも破竹の勢いで進んだ年があるんですよ。それを生演奏で聴いて、先輩たちの演奏する《元禄》に感激してこの吹奏楽部に入りたい!と思って、進学して。
高校一年のコンクールの課題曲は《吹奏楽のための「風之舞」》っていう曲で、締太鼓を使うパートだったんですけど、やたら前で叩いた役割でした(笑)。フルートの横あたりで。音楽的ないい経験だったなあって今も思っています。そういう意味で吹奏楽との関わりは自分にとって大きかったし、吹奏楽部の先輩で課題曲マニアな人がいたんですよ。

—課題曲マニアですか?(笑)

會田:僕も課題曲大好きだったんで熱くトークしてましたし、それこそ間宮芳生先生とか三善晃さんとか・・・日本を代表する作曲家の先生方の作品が多くあったから課題曲で名前を覚えましたね。保科洋さんの曲いいよなー!とか。自分が生まれる前の作品も聴きました。
課題曲から受けた影響は大きいです。いま、日本の作曲家を演奏していこうというのは、もしかしたらそういうところで聴いていたから、こういう風になってるんじゃないかな?

—吹奏楽曲で特にお好きな曲は何でしょうか?

會田:何にしようかな(笑)。わ~、選べないなあ。思い入れもあるし。まずは間宮芳生先生の《カタロニアの栄光》(1990年度課題曲)ですね。今聴いてもオーケストレーションの面からいってもこんなに高度なことが出来る課題曲で、しかもそれが技術的な制約の中で中高生でも表現出来るようになっていると思います。

—海外作曲家のものでお好きな曲はいかがですか?

會田:《アルメニアンダンス part2》ですね。2は本当にいい曲だと思う。

—冒頭のヴィブラフォン、とてもきれいですよね。

會田:《アルメニアンダンスはpart1》がとても人気がありますけど、part2のほうは全体的にほの暗い曲だなと思ってるんです。あの曲は好きです。ヴィブラフォンもですけど、銅鑼の使い方とか、3楽章の銅鑼の余韻を放り投げるような中間みたいなのが凄いなと思ってて。

—吹奏楽部時代に心に残っている練習方法はありますか?例えば私はシンバルを持って手を伸ばして何分耐えられるか?とか、中学校の周りを走り込みでゼイゼイ息を切らしたりとかいろいろあるのですが。

會田:うーん・・・一つ打ちですね!ずーっと一つ打ちをやって、速くしていって、均等に出来るかとか左右の高さが一致してるかとか。仙台フィルの佐々木先生に習い始めた時、「一つ打ちから始めよう」と言われて。鏡の前で10分ぐらいずっと欠かさずやりなさいと言われました。

一つ打ちだけで二時間ぐらいのレッスンを受けたこともありますけど、曲とかそういう問題じゃなくて、一つ打ちをきれいに出来るかどうかは打楽器奏者にとって大きな問題だし、そこは今も気をつけてますね。やはりそれが音の立ち上がりを良くするんですよね。自分の描きたい音を描く為に絶対必要なスキルだから、そういう練習が一番印象深いですね。

畠山:基本的に楽器って、ポーンって叩いたら消えていくだけじゃないですか。でも、伸ばしの音にクレッシェンドがあったり、精神の中で作っていく。打楽器ってアフターモーションっていうんですかね。叩いた後の動作で変わってくると思うんですけど、でも物理的にはあまり変わっていなくて。僕は、指揮でも叩いた時でも、匂いというか余韻を挿入したりするのが好きなんです。でもそれってコンクールのシーンでは凄くやり過ぎているような、”先生にこうやれって言われました”、”やると上手く聞こえるだろう”、そういう目的からずれているのも見かけていて。その辺の話を伺いたいです。

會田:やっぱりわざとらしいのは一番良くないことかな。僕は大学に入りたての頃、吉原すみれ先生に「どうしてお前はそんなに無駄な動きばかりするんだ?次やったら破門だ!」って(笑)。「なんで余計なことばっかりするんだ!音楽をやってるんだから、踊ってるんじゃないだろう?」と言われたことがあったんです。

大学に入りたての頃はよく分からなかったんですけど、何年かたつにつれて、音に集中していれば余計な動きは要らないし、動いたからといって音は別に変わるわけではない。むしろ立ち上がった音を聴くほうに意識を向ければ余計な動きはなくなっていくし、そんな動きをする必要はないっていうことにある時気付いたんですよね。演奏に集中出来るし。そういうことをすみれ先生に教わったので。

それでも動きがないと!って思う方に言えるのは、僕らパーカッションは絶対動作はあるわけだから、無駄のない動きがものすごくきれいに見えると思います。僕らは音楽家なんだから音に集中すべきだろう、そういう風に演奏をしたほうがいいんじゃないかなと僕は思っています。それは自分自身、肝に命じている部分です。

—武蔵野音大ご卒業の後は大学院に2年行かれたんですね。武蔵野音大に計6年間いらして。一年生の時から打楽器もすぐ習われるのですか?

會田:そうですね。僕の入っていた学科はすごく長くて、毎週90分のレッスンがあるんです。試験は一年の時だけ前期20分、あとは大学四年まで前期も後期も30分、自分で演奏曲を組み合わせて30分プログラムを作りなさいというものでした。そして卒業試験は一時間演奏会をしろというものです。学科が演奏家コースみたいなものだったので、とにかく演奏をしろという、さっきの徒然草の話じゃないですけど舞台に立ちまくれみたいな、そういう状態の大学四年間でしたね。

そういう中で、審査して下さる先生方も言ってみればこの上ないお客様ですよね。全ての専門的知識を兼ね備えた先生方にどうやったら楽しんでもらえるだろう?ということも考えながらプログラムを組んでいったので、そういう意味ではとても勉強になりました。だからいろんな音楽を知らなきゃいけないなあと思ったし、そういう中で日本の作曲家の作品もCDなどで出会いましたね。

—大学4年の時にサントリーホールでデビューなさったそうですね。どういう経緯だったか教えて頂けますか?

會田:サントリーホールで企画している「レインボウ21」という学生公募演奏会のような企画モノがあったんですね。大学毎に取りまとめてサントリーホール側で審査して、面白い企画の演奏会に対してサントリーホールが全面的に支援して演奏会を実現させるというものです。年に3公演を学生主体の企画でやるということで、僕は日本の作曲家と打楽器音楽との関わりを探求した演奏会「打楽器音楽、その創造と継承」というタイトルで企画書を書いたんです。

面接もありダメで元々と思っていたらそれが採用になって、演奏もやって企画者でもあるという、ある意味前代未聞だったのかもしれませんね。本来だと音楽を専攻している学生が企画して、演奏者は別の演奏専攻している学生に依頼するのが一般的だったようなんです。

僕の場合は企画の中心であり、演奏も中心でやるっていうダブルヘッダーだったので、準備にはとても時間がかかったし徹夜したりもしてたんですけど、その経験でサントリーホールという素晴らしいホールで演奏も出来て自信になったのは言うまでもないし、やっぱり、行動する演奏家になりたいなと思うきっかけにもなりました。

—ここからはちょっとプライベートなこともお伺いしたいです。学生時代クラシックや吹奏楽曲以外には、どんな音楽を聴いていましたか?

會田:レベッカが好きでした。解散して間もない頃好きになって。一昨年復活した時はライブに行って感激しましたね!今年も行きますよ。
ドラムをやってみたかったんですよね。いつでもロックにシフトする気持ちはどこかにあったんです。結局クラシックに突き進んでいったから、そうはならなかったけど。今でもドラムやれと言われたら、いつでもやるつもりでいます。大学ぐらいからドラムから離れていきましたね。というのも大学ではドラムに特化して叩いていた先輩たちがいて、すっごい上手だったんですよ。そういうのを見ていると違うなあと思って。もうちょっと、俺には俺にしか出来ないことをやったほうがいいかもしれないなあと思いました。ドラムはドラムで奥深いですよね。

—他媒体のインタビュー記事を読み、”音楽家にならなかったら小説家になりたかった”というのを読みました。文章を書くのがお好きなんですか?

會田:好きですね。今も、演奏してると寄稿を頼まれるんですよ。現代音楽協会とか。あと、助成を得るために企画書を書いてばっかりですね(笑)。さっきも新幹線の中で一本企画書を作って送りました。
でも結局文章書くのが好きで良かったと思ってて。音楽やるにも、こうしたいからお金が必要なんです、お願いしますとか、この企画のこういうところがメリットですよとか言葉にしないと伝わらないので。いまだにトレーニングしてます。本を読む習慣もつけています。

—長時間お一人で演奏されたりご多忙な中で、何か健康法や気分転換の方法はありますか?

會田:何かしら身体を動かすようにはしていますね。スポーツはしていないですけど、なるべく歩いて帰ったり、毎日腹筋するようにしたり。こまごまとやっています。体力が要る仕事なので。
あとは、みんなとお酒を飲みに行ったりすることが、ものすごく僕の中で気分転換になります。いろんな音楽を聴くことも面白い気分転換になるし、TVも好きだし。

—インタビューも終盤となりました。アルバム『with…』で、會田さんの言葉「僕は音楽に”主情”すなわち人間の所在を探し求めている」と書いてあったのがとても心に残ったんです。 そのあたりについて、もうちょっと詳しく教えて頂けますか?

會田:僕の好きな作曲家の言葉を借りたような感じなんですが、平たく言ったら叫びみたいなもので。結局音楽って日本の民謡とか、たとえば雨ごいであったりとか、豊作を祝うこととか何かに対して願ったりとか、ポップスの中では”失恋して辛い”とか、”恋が成就して嬉しい”とか、何か喜びを表していたり。

端的に言えば人間の喜怒哀楽みたいなもの、それは全部一つの言葉でいえば”叫び”という風に集約出来ると思うんです。嬉しいから叫びたいし、悲しいから叫びたいし、そういうものが例えば作曲家によって様々違うと思ってるんですよ。ベートーヴェンと日本の作曲家とではまた違っているわけだから、そういうものをヴィブラフォンを通して、打楽器を通して表現するのが演奏家の役割だと思っているので。
人間の所在というものはその人達の感情的なものだったり、自分の気持ちを突き動かすようなものが音楽の根幹なのじゃないかなって思っている感じです。

畠山:僕は仙台吹奏楽団で常任指揮者をやっているのですが、指導しながら指揮をしています。ちょうど今《ラッキードラゴン第五福竜丸の記憶》っていう曲をやっているんですね。ヴィブラフォンがすごく活躍するんです。で、どのマレットがいいかなあとか、モーターはどのぐらいの速さがいいかなとか試行錯誤しながら団員と一緒にやっています。ぜひ打楽器を一生懸命頑張っている中高生や社会人楽団員に向けて、ヴィブラフォンを演奏する上で気をつけていくといいよっていうアドバイスを伺いたいです。

會田:自分の音、自分の今出している音を聴くことかな。ヴィブラフォンって非常にペダリングでも変わってくる。一番、ペダルなんじゃないかな?と僕は思っていて。伸ばしっぱなしにするといつまでも伸びていってしまって。ちょっとそれがモヤモヤして。

僕も中学の頃初めてヴィブラフォンに触って、ペダルを踏むといろんな音が鳴ってモヤモヤした感じで。金属音でもあるから、音に酔っちゃう感じになりがちなんですね。かなり細かくペダリングして、時には完全にペダルを使わないで弾いてみると、割とその音もきれいだったりアンサンブル的にも成り立つと思います。自分の出している音に耳を傾ければ、もっと多分楽しくなってくるんじゃないかな。

そして、いろんな音楽に耳を傾けることじゃないかな、と思います。ヴィブラフォンの音楽だけじゃなくて、ジャンル問わず。オーケストラもそうだし、JAZZもそうだし、ROCKももちろんだし、いろんな音楽の面白さというのはどこにでもあるわけだから、そういうところから学ぶのも大きいかも。

僕は高校時代から仙台フィルハーモニー管弦楽団の会員で、お小遣いで行ける範囲だったので結構通った記憶があるんですね。すごく僕にとっては大きな糧になっていて。珍しい曲も聴けたし、そういう生演奏に触れるのは一番勉強になると思っています。

—2017年11月には尺八との共演が予定されていたり、2018年には権代敦彦さんのヴィブラフォン協奏曲の委託初演が計画されているそうですね。他にも決まっている初演はありますか?

會田:いま東京に住まわれているんですけど仙台出身の山内雅弘さんという作曲家がいらして、来年その方のヴィブラフォン協奏曲をやる予定です。他の楽器とのコラボはその楽器との相性というか融合、一人では出せない音が出るので、そういう分野はどんどん切り開いていかなきゃなと思っています。コンチェルトはヴィブラフォンのものは少ないからどんどんやっていきたいですね。ヴィブラフォン以外の打楽器のコンチェルトもやっていきたいです。

僕は「これはこうだ」と枠組みを作るのがものすごくイヤなんです。そうやってどんどん視野が狭くなっていくのは悲しいし、広い世界でものを見たい。ヴィブラフォンもやれば太鼓だってやるし、いろんな音楽をやるし。いろんな音楽が好きだし、多様であることをもっと受け入れるべきだと思ってるんです。多様であったほうが絶対いいに決まってる。

—それはすごく分かりますね。最後に、今後の展望や夢について伺えますか?

會田:もっともっと打楽器の音楽が身近になってほしいなと思います。海外の作曲家とのコラボレーションをするのはもちろんのこと、日本の作曲家の曲を外国でも紹介できるように土壌を整えたいです。仙台在住の作曲家ともコラボレーションしたいですね。拡がりが出てほしいというのは自分の中であるので。楽器としてこういう魅力があるんだなあというのを僕自身が宣伝媒体のようになっていけたらいいなと思っています。

—本日は長いお時間どうもありがとうございました。今後のますますのご活躍を心より楽しみにしております。

『ヴィブラフォンのあるところ』會田瑞樹
Chapter I 軌跡1.Billow 2(作曲:薮田翔一)2.Luci serene e chiare(作曲:C.ジェズアルド 編曲:白藤淳一)3.Music for Vibraphone(作曲:渡辺俊哉)4.華麗対位法 Ⅲ-2 by Marenzio(作曲:横島浩)5.ヴァイブ・ローカス(作曲:湯浅譲二)
Chapter II 超越6.Wolverine(作曲:川上統)7.color song Ⅳ -anti vibrant- (作曲:福井とも子)8.海の手 Ⅲ(作曲:木下正道)9.光のヴァイブレーション(作曲:権代敦彦)10.夢見る人(作曲:M.マレ 編曲:會田瑞樹)
発売日:2017/6/7レーベル:ALM Records規格品番:ALCD-113


◆會田瑞樹(Aita Mizuki)プロフィール:
1988年宮城県仙台市生まれ。武蔵野音楽大学ヴィルトゥオーソ学科打楽器専攻卒業、同大学院修士課程修了。佐々木祥、星律子、吉原すみれ、神谷百子、有賀誠門、藤本隆文の各氏に師事。日本現代音楽協会主催第九回現代音楽演奏コンクール「競楽Ⅸ」第2位入賞。デビューアルバム『with…』は朝日新聞夕刊推薦盤、音楽の友12月号推薦盤に選出。2016年12月にはNHK-BSプレミアム「クラシック倶楽部」において「打楽器百花繚乱 Percussion Extraordinaire -Mizuki Aita-」が全国に渡って放送された。2017年6月、ALMコジマ録音よりセカンドアルバム『ヴィブラフォンのあるところ』をリリース。

會田瑞樹 Official Web Site

 


インタビュー・文:三嶋令子(Cheer Up!みやぎ編集長)

※この記事の著作権は「Cheer Up! Project」に帰属します。


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