管弦楽や吹奏楽の指揮者として活動されている岡田友弘氏に、学生指揮者の皆様へ向けて色々なことを教えてもらおうというコラム。主に高等学校および大学の吹奏楽部の学生指揮者で、指揮および指導については初心者、という方を念頭においていただいています。(岡田さん自身も学生指揮者でした。)シーズン2はよりわかりやすくするため、「オカヤン先生のスーパー学指揮ラボ」と題した対話形式となっています。今回は第5回。前回から、Wind Band Press側で、登場人物の背景的なストーリーも少し入れています。今回は、「音楽の最小限かつ完全な形式」について知っていきます。さっそく読んでみましょう!
合奏するためのスコアの読み方(41)「ガクシキ(学指揮)」のための「ガクシキ(楽式)」論(6)『オカヤン先生のスーパー学指揮ラボ』(第5講)ここは東京郊外、自然豊かな丘陵にある私立総合大学。その一角にあるオカヤン先生の研究室では、オカヤン先生と2人の学生によるゼミ形式の講座が開かれている。学指揮に必要な音楽のことを中心に学んでいくのが、この研究室の目的である。
【登場人物紹介】・オカヤン先生(男性)・・・このラボ(研究室)の教授。プロの指揮者としてオーケストラや吹奏楽の指揮をしながら、悩める学生指揮者のためのゼミを開講している。
・野々花(ののか・女性)・・大学3年生(文学部)。大学吹奏楽部で学生指揮を担当している。作曲などにも関心を持っていて、音楽理論にも詳しい。音楽への情熱も人一倍強い。音楽に没頭するあまり、周りが見えなくなることも。彼女の所属している吹奏楽部は通常、4年生が正学生指揮を務めるが、ひとつ上の学生指揮者の先輩が退部したため、3年生から正学生指揮者を務めている。担当楽器は打楽器だが、必要に応じてピアノも担当する。部員には知られていないのだが、実はハープを演奏できる。
・隆(たかし・男性)・・・大学2年生(法学部)。野々花の後輩で、大学吹奏楽部では副学生指揮者として野々花と協力しながら活動している。音楽がとにかく大好きで、指揮することの魅力に取り憑かれている。野々花ほど音楽に詳しくはないが、人望が厚くみんなから慕われている。若い頃はサッカーを本格的にやっていたようなスポーツマンでもある。担当楽器は大柄な体格であることと、実は幼少期にヴァイオリンを習っていたという理由だけで、同じ弦楽器であるコントラバスを担当している。
彼らが所属している吹奏楽部は、演奏会やコンクールといった本番も学生が指揮を担当しており、オカヤン先生は直接彼らの吹奏楽部の活動には関わっていない。学生指揮者としての音楽作りや指揮法などについてのレッスンを受けようと、専門家であるオカヤン先生が開講するラボに参加することにした。
***
「寒い・・・ああ寒い・・・」
それを声に出したところでお天道様が「おおなんと不憫な、暖かくしてあげよう」と応えてくれるわけでもない。それはわかっているのだが、言わずにおられようかこの寒さ。容赦なく雪が顔を叩く。
大学キャンパスに入り、ラボが行われる多目的室のある棟へと向かうあいだ、野々花はひたすらに念仏のごとく寒い寒いと繰り返しており、その数はゆうに100を超えるかと思われた。一応傘は持ってきているのだが、キャンパス内は風も強く、傘は無意味と判断して早々と畳んでいる。
年末、クリスマスの日に無事に吹奏楽部の定期演奏会は決行され、4年生もなんとか送り出した。先輩たちは今ごろ何をしているのだろうか。
定期演奏会を経て、もちろん課題は山積み、否、エベレストのごとく積もったのだが、そんなことよりも何よりも今日は寒いのである。積もっているのは雪だ。山の上にある大学キャンパスは、雪の量も尋常ではない。なんなのこの天気。久々のキャンパスがこの天気。
部活もこの疫禍で年明け以降ほとんど活動していない。幹部はたまに会ったり、たまにリモートで、次の演奏機会に向けて色々と準備はしているが、例年この時期は部内アンサンブル大会という内輪向けのイベントくらいしかないので、わりとまったりとしているのだ。各自好きなところで集まって練習したりしなかったりという具合だ。この状況では無理もない。アンサンブル大会すら出来るかどうか怪しい。あとは少々、卒業式に向けて何曲か合奏をしたくらいである。
そして明日からは入試に向けて大学キャンパスも閉鎖される。在学生は立入禁止になるのだ。
そんなギリギリの日程ながら、なんとか隆とオカヤン先生が日程を調整し、ラボの準備をしてくれていた。ありがたく参上つかまつろう、というものである。オカヤン先生の話を聞けば、また何か学びもあるだろう。
身体を震わせつつ、足元に気をつけながら、ひとつまたひとつと野々花は階段を登っていった。一日でも早くこの疫禍が去りますように、と祈りながら。
***本日のテーマ=最初の「完全なる楽曲」(小さいけど・・・完全)2人:先生、今年もよろしくお願いします。オカヤン:こちらこそ!前回のラボから少し間が空いてしまったけど、音楽活動、部活動はどうだった?野々花:12月末に吹奏楽部の定期演奏会があり、4年生の先輩が引退されました・・・先輩方にはとてもお世話になったので、ものすごく寂しいです。オカヤン:そうだね、毎年4年生を送り出すのは寂しいものだよね。でもこれからも先輩とは良い関係を保てるといいね。良い活動をした先輩がこれからは「良いOB・OG」として現役の部活動を応援してくれるような団体であることを僕も願っているよ。野々花:はい、私もそのような存在として貢献できるように頑張っていきたいと思います。オカヤン:ところで先日の定期演奏会、指揮者としてはどうだったかな?特に隆くんはデビューだったわけだけど。隆:個人的にはメンバーに助けられて何とか終わった・・・という感じです。練習も本番も自分の思い通りにいかないものですね・・・改めて指揮の難しさと自分の力不足を痛感しています。オカヤン:それはほろ苦いデビューだったね。でも指揮が簡単に出来てしまったら僕たちの仕事は簡単なものになってしまうから、指揮の難しさをわかってくれたのは良かった面もあるかな(笑)隆:はい、ますます先生のラボで指揮について、音楽について勉強していきたいと強く思っています。オカヤン:その意気だよ!これから頑張っていこう。野々花ちゃんはどうだったかな?野々花:今回は正指揮者ということで、昨年に比べて曲数が増えて大変でした。いろいろなスタイルの曲を指揮することがとても難しいと感じました。オカヤン:そうだね、曲数が増えた時に同じ感じの曲ばかりが並んでしまうと、全体が単調になりお客さんも飽きてしまうよね・・・さまざまなスタイルの曲を指揮するということは必要なことだね。その時に助けになるのが、今ラボで取り上げている「形式学」なんだよ。音楽のいろいろな形式を学ぶことで、さまざまなスタイルの音楽形式を知ることが、今取り組んでいる曲の合奏に役立つはずだよ。吹奏楽指導者の先生も吹奏楽をしている人たちも「和声」や「音程」のことに関してはものすごくこだわって深く学ぼうとする人は多いけど、それ以上に音楽の形式を学ぶことは大切なことであるということを知ってほしいと思っている。2人にも形式についてもしっかり学んでいってほしいな!2人:はい!オカヤン:ところで今はどのような活動をしているのかな?野々花:定期演奏会終了後は、年末年始のオフ期間を経てアンサンブルコンテストの練習と卒業式の際の演奏曲の練習です。アンコンの練習は各パートが主体で練習していたので、全体練習としては卒業式の演奏に向けた練習をしています。まだ正式に曲を決めていないので候補曲を何曲か練習して、その中から2曲程度を卒業式で演奏する予定です。オカヤン:なるほど、どんな曲を練習しているの?野々花:エルガーの「威風堂々第1番」とか・・・祝典感が出そうな曲を練習しています。オカヤン:エルガーの曲は卒業式にはピッタリかもしれないね。中間部のメロディーは特に素晴らしい。のちにその部分に当時のイギリス国王が「歌詞をつけてほしい」という発言から歌詞がついて広く歌われるようになったんだ。いわば「第2の国歌」だね。野々花:そのような逸話があったのですね。荘厳な祝典にふさわしい曲だと思えてきました。オカヤン:この「威風堂々」の中間部「希望と栄光の国」と並んで「第2の国歌」と言われることがある曲がもう一曲あるんだ。それはエルガーとほぼ同世代、少しだけ先輩格に当たるヒューバード・パリーの「エルサレム」という曲なのだけど、この曲が大編成のオーケストラ曲に編曲されていて、その編曲をしたのはエルガーなんだよ。とても単純なメロディの曲だけど、ものすごく感動的な曲だ。今回は「エルサレム」をテキストにして「音楽の最小限かつ完全な形式」について学んでいこう。まずは「エルサレム」のメロディを見てみよう。ヒューバード・パリー「エルサレム」(カーウェン&サンズ社刊)より引用
オカヤン:この曲の歌の部分は全部で4番まであり、それに前奏部と後奏部、そして間奏部が付けられている。このようにワンコーラスが16小節からなる曲だ。楽譜の中で赤く囲まれた部分だよ。この16小節の音楽が「エルサレム」の完全なメロディになる。「完全なメロディ」という意味は「我々がその音楽を聴いていて、旋律が終わったと感じることができる」最小単位という意味だよ。あとで詳しく解剖していくけど、このメロディの途中の何処かで音楽を切ったら「音楽が終わった」という安心感は感じられず、何か「次への期待」というか「次に導かれたい」と思ってしまう。2人はどう感じるかな?
隆:メロディの最後以外は、どこか落ち着かない気持ちになるというか、「次も何かありそう」とは感じますね。
野々花:私もそう思います。
オカヤン:最近の歌謡曲には「終わったのか、終わらないのかがわからないけど終わってしまった」曲もあるにはあるけど、大体の音楽は聴き手に対して「曲が終わったと感じさせる充足感」を持って曲が終わるね。音楽理論や分析的にはそれらに名前を付けたりはできるけど、大事なのは「聴いている人の感性や感覚」だよ。理論を勉強していくと何でもそれに当てはめて考えてしまうけど、「純粋な聴き手」の感覚というものを忘れてはいけない。音楽は「心で感じるもの」なのだから・・・。
それではこのメロディをもう少し詳しく見てみよう。このメロディは4つの部分に分けられるといえる。4つの部分を色分けして示していこう。
ヒューバード・パリー「エルサレム」(カーウェン&サンズ社刊)より引用
隆:16小節の旋律が4つに分けられる場合、単純に考えたら4小節×4=16小節なのでこのように分けられると予測ができそうですが・・・他にこのように分けられる理由はあるのでしょうか?
オカヤン:そのヒントは二つある。前回まで学んだ「動機」をヒントにする方法と、この曲が持っている歌の「歌詞」だ。まずは動機からそれを探ってみよう。
この旋律の重要な動機は冒頭の4つの音「レ・ファ♯・ラ・シ」だ。この音の並びが形を変えてそれぞれの部分の冒頭として登場するのがわかるかな?この動機の変形、もしくは繰り返した動機の登場がそれぞれの部分に新しく突入することを示しているんだよ。日本でもよく「起承転結」というストーリーの展開方法が知られているけど、この曲の構成も見事な「起承転結」になっているね。音楽も「ストーリー」の一形態だということを明確に示しているともいえるね。
Aの部分の「レ・ファ♯・ラ」は、Bの部分でも同じ音で登場する。Cの部分ではそれが冒頭では「ミ・ミ・ファ♯」になり、さらにその2小節先では「ミ・ソ・ラ」の音で繰り返される。これは「セグヴェンツ」だね。異なるセグヴェンツで動機が繰り返され、なおかつ各音の音程が広がることで「高揚感」を生み出すことに成功して、この旋律がクライマックスに進むための準備をしているんだ。そしていよいよDの部分の最後、つまりこの旋律の最後の音は「エルサレム」の主調である「ニ長調(D-Dur)」の第1音になっているね。この「レ」の音に落ち着くことで、聴き手は「メロディが落ち着いて、終止にたどり着いた」という気持ちを持つことができるわけだ。
メロディというのは「動機の確保」と「動機の展開」によって一つの形を成すことなんだよ。Aの動機はBで確保され、C、Dで展開される。このエルサレムは「メロディの作り方」の基本を知るのにはとても良いテキストだと思っているよ。でも、これは「エルサレム」が特別な存在というわけではないんだよ。多くのメロディはこの原則に当てはめることができる。また専門的にはこのようなメロディは「一部形式」と呼ばれるけど、その名前については大した問題ではないよ。旋律がどのような作りになっているか?それが一番大事なことなんだから。
でもここで2人に心に刻んでほしいことがある。全てのメロディはそれそれに個性を持っている。だから作品によっては旋律がふたつの部分に分けられるもの、3つに分けられるもの、場合によっては4つ以上に分けられるものもある。それを探し出してわかりやすくみんなに伝え、聴いている人にも音楽を聴くだけで「その曲がどのような仕組み(形式)になっている」かを示すような音楽を作ることが指揮者の大切な役割なんだよ!2人にもそれを大切にしてくれる指揮者になって欲しい。指揮者の先輩としてのお願いだ。
2人:はい!
野々花;先生、歌詞にもヒントがあると言ってましたよね?それはどういうことなのでしょうか?
オカヤン:楽譜の下に書かれている英語を見てみよう。4つに分けた部分の最後の単語、全てに疑問符「?」がついているね。歌詞の中で「?」がつくのはこの4つだけだ。そして前半AとBの部分、つまり「動機の確保」の部分の単語はそれぞれ”green”と”seen”と韻を踏んでいる。同様に後半CとDの「動機の展開」部分は”hills”と”mills”というように韻を踏んでいるね。これを見ても、この詩が4つの部分に分かれ、それが前半の2部分と後半の2部分が密接な関係を持っていることがわかると思う。この詩を作った詩人ブレイクの素晴らしい仕事だと思うね!音楽と歌詞が見事に形式的にも融合しているんだ!もちろん僕も、野々花ちゃんや隆くんも歌詞のない楽曲を指揮する機会の方が多いのだけど、このように「音と言葉」の関係についても注目していくことは、普段の音楽作りにも活用できることだと思うよ。「音楽とは言語である」と言っていた人もいたけど、僕もそうだと思う。音楽を通じて、他の演奏者や聴衆と「対話」することができると素敵だね。そのためにも「旋律をどのようにおしゃべりできるか」を考えて曲を読み込んでほしい。文節や段落、抑揚や語気・・・それを音楽でも意識できると「生命力のある」演奏を聴かせることがきっとできるはずだよ。
今回の講義の最後に「エルサレム」の歌詞を読んでいこう。この曲の本来のタイトルは「古代、あの足が」というもので、旋律冒頭の歌詞に由来するのだけど、「あの足」とは何だと思う?
隆:怪獣とか?
オカヤン:残念ながら不正解だ(笑)答えは・・・「イエス・キリスト」だよ。古代にイエスがイングランドにきたという伝承がもとになっていて、イギリス人の心の拠り所にもなっている詩でもある。この詩に曲がつけられた時代はちょうど第1次世界大戦の時期で国威発揚のためにこの曲ができたと言われているけど、戦争を美化する目的ではなく、一個人があらゆる権威や権力に屈することなく自由な精神活動を続けていくという決意の宣言として捉えられることが多いんだ。2人にもこの歌詞に大切な何かを感じてもらいたいな。
《エルサレム》(原題“And did those feet in ancient time”)
詩・ウィリアム・ブレイク(1757~1827)
And did those feet in ancient time,
Walk upon England’s mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On England’s pleasant pastures seen!
古代 あの足が
イングランドの山の草地を歩いたというのか
神の聖なる子羊が
イングランドの心地よい牧草地にいたなどと
And did the Countenance Divine,
Shine forth upon our clouded hills?
And was Jerusalem builded here,
Among these dark Satanic Mills?
神々しい顔が
雲に覆われた丘の上で輝き
ここに エルサレムが 建っていたというのか
こんな闇のサタンの工場のあいだに
Bring me my Bow of burning gold:
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear O clouds unfold:
Bring me my Chariot of fire!
我が燃える黄金の弓を
渇望の矢を
群雲の槍を
炎の戦車を 与えよ!
I will not cease from Mental Fight,
Nor shall my Sword sleep in my hand,
Till we have built Jerusalem,
In England’s green and pleasant Land.
精神の闘いから ぼくは一歩も引く気はない
この剣をぼくの手のなかで眠らせてもおかない
ぼくらがエルサレムを打ち建てるまで
イングランドの心地よいみどりの大地に
オカヤン:僕もだけど、どんなに苦しくて、理不尽に感じることが続いても、この詩の最後の部分のような気持ちを持ち、自分と仲間を信じて前を向いて進んでいってほしいと願っているよ。今後は少しラボも間を空けずにどんどん進めていくから、2人もしっかりと復習をしておいてね。今後は2人が今取り組んでいる曲もテキストにしていきながらより実用的なラボにしていく予定だよ。
2人:はい!今回もありがとうございました。
***
ラボではオカヤン先生の手前、元気なふりをしていたが、正直憂鬱である。隆は普段は雄弁なその舌をさほど動かすこともなく、野々花と並んで歩いた。
「今日は・・・今日に限らずだけど最近暗いね」
あっという間にさらに雪が積もったキャンパスを歩きながら、野々花が隆に話しかける。
「ああ、いや、そうですね、はい」
年が明けてから数えるほどしか部活動らしい活動をしていないので野々花は隆にもあまり会っていないのだが、なんとなく察するところはある。
定期演奏会で2年生ながら数曲を指揮した隆だったが、曲が途中で止まるような事故はなかったものの、あまりうまくいかなかったわけだ。
それについて、引退した4年生ではなく、野々花と同じ3年生の中から、「隆には指揮者としての適正がないのではないか」というような指摘が飛んでいるのだ。
指揮をしたこともない学生が、ただ単に先輩だというだけで、自分の演奏の稚拙さを棚に上げて後輩指揮者を責めているのである。
野々花に向かってその話をしてくる同期はいなかったが、後輩などから話を聞く限りそのような状況であるらしく、「陰湿だなあ」と野々花も部活動が嫌になりかけていたところではある。
「うちの代の奴らから色々言われてるの気にしてんの」
「そりゃあ気にしますよ」
言葉少なく隆が返す。
「まあ気にするよね」
野々花も短く返す。
「でも一人で悩んでてもしんどいからさ、ちょっとここは野々花先輩に話してみなさい。寒いからあそこのエントランスあたりで」
「いやでも僕のことなんで。先輩に迷惑かけらないス」
断ろうとする隆の腕をグイッと掴み、無理やり野々花は手近な学部棟のエントランスホールへと向かう。
「これは君だけのことじゃなくて部活のことだし、学生指揮者のことだから」
生気のない隆の身体は大柄な割に驚くほどに軽く、サクサクと雪を踏みながら野々花に引っ張られていく。それは彼自身が誰かに話しを聞いてほしかった、そのタイミングが欲しかったという気持ちの表れでもあった。
「・・・なるほど」
自販機で買った紙コップタイプのカフェラテを飲み終わり、野々花はベンチの背もたれに身体を沈めて、一息ついた。話を聞く限り、隆への批判は3年生からだけで、隆の同期からは出ていないようである。2年生、頼もしいではないか。
「学指揮、向いてなかったのかな」
一通り溜まっていた思いを吐き出してスッキリしたのか、明るくはないが暗くもない表情で、隆が誰にでもなく問いかける。
「向いてるかどうかは知らないけど、辞めるべきではないね」
野々花が応じる。
「君が辞めた途端にすごい学生指揮者が代わりに現れるならまだしも、そんなのはキリストがイングランドに来るのを待つようなものでしょ」
「うーん・・・?」
隆にはよくわからない。野々花の例えが下手なのか自分が馬鹿なのか。
「うちの学年についてはちょっとこっちでなんとかするわ。正直めちゃめちゃ同期に腹が立つけど、あいつらも多分自分がうまくいかなかったってわかってるんだろうね」
「だったら僕を責めなくてもいいじゃないですか」
少し隆が抗議する。野々花に抗議しても仕方がないのだが。
「そう、責めなくてもいいし責める立場にないよね。でもどんな立場の人でも、批判とか非難とか、そういうのは怖いわけよ。うちの学年だってみんなそんなに強くないからさ。OBとかお客様アンケートとか、そういうのでなんか色々演奏会の出来とか突っ込まれるとさ、逃げたくなるじゃない、それは自分のせいじゃない、って」
「あー」
「防波堤みたいなのが欲しいんだと思うんだよね、奏者としては」
「防波堤ですか」
「防波堤になんかなりたくはないけどね。でもそれもこういう団体だと指揮者の仕事のひとつかもね。運営がうまくいかなかったら部長が責められるじゃない?それの音楽バージョン」
「あーそう考えるとしっくり来ますね」
「そう、だから、まあ中にはただ逃げるつもりが、本当に君のせいだと思いこむようになってる人もいるかもしれないけど、ほとんどが意味のない批判だから」
「でも、そういった先輩方の批判の中から、なおせる部分があればなおせば良いってことですかね」
「おっ、ちょっと前向きな隆君が戻ってきましたね」
「そうすか?」
少し隆の顔が柔らかくなる。
「やっぱり君は能天気じゃないとね。それで救われる人もいるだろうし。やっぱり楽しむために部活に入ったわけだし」
「それはそうかもしれないですね。楽しみたいですね。楽しみましょう!能天気バンザイ!」
隆は缶コーヒーをグイッと飲み干し、少し離れたゴミ箱に放り投げる。空き缶は見事にゴミ箱に収まり、カラン、と他の空き缶とぶつかる音が響いた。野々花は久しぶりに隆の笑顔を見た。
オカヤン先生は「自分と仲間を信じて前に進む」と言っていたが、実際のところそれはなかなか難しいことである。だからこそ、面白いのかもしれない。
「えいやっ」
野々花が投げた紙コップは、あらぬ方向に飛んでいき、パコンと床に転がった。
***(第6講へ続く)
文:岡田友弘ストーリーパート:梅本周平(Wind Band Press)※この記事の著作権は岡田友弘氏およびWind Band Pressに帰属します。
以上、岡田友弘さんから学生指揮者の皆様へ向けたコラムでした。
それでは次回をお楽しみに!(これまでの連載はこちらから)
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(Wind Band Press / ONSA 梅本周平)
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