Wind Band Pressではこれまで多くの海外の情報を記事にしてきましたが、実際のところ、海外各国の吹奏楽事情についてはあまりよく知られていないのが現状です。
そこで世界各国で現地に在住し吹奏楽を楽しんでいる方、また指導などで関わっている方などから各国の吹奏楽事情について伺ってみようというシリーズ、それが「気になる!世界の吹奏楽事情」です。
今回は、フランスの作曲家、ジャン=フィリップ・ヴァンブスラールさん(Jean-Philippe Vanbeselaere)によるフランスの吹奏楽事情についてのご寄稿の第2弾です。
それでは、どうぞ!
[English below Japanese]
「フランスの吹奏楽」パートII (byジャン=フィリップ・ヴァンブスラール)
吹奏楽のためのフランス音楽を想起させることは、私たちに大きな一歩を踏み出させます:アンシャン・レジーム(16世紀に始まり、フランス共和国が誕生した1789年に終わった歴史的な時代)の時代にさかのぼることです。そこではコンサートで演奏するために、いくつかの管楽器のグループが曖昧でゆるやかな形で使用されていました。
フランスの吹奏楽団のレパートリーを紹介するためには、フランス革命に始まる遺産のレパートリーを参照することが重要であると思われます。
1. 1789年~1815年:革命期と帝国
a. 革命期の吹奏楽のための音楽
吹奏楽団は軍事的なものと考えられていました。しかし、1790年当時はそうではありませんでした。フランス革命の時代には、音楽に対する考え方が違っていました。革命の精神の中では、出来事を祝うために物を言う必要性がありました。それゆえに、祝賀会や記念式典、市民式典などで野外で管楽器を演奏するように音楽家に依頼する必要がありました。
フランス革命が本格化する中、フランスの最高の芸術家たちは、自由、平等、友愛の新しい時代を祝うために求められました。1794年に音楽院となったパリ市立音楽院(1792年に設立され、1790年にベルナール・サレットによって集められた国家衛兵音楽隊の器楽奏者を養成するためにフランソワ=ジョゼフ・ゴセックによって指揮された)が創設されたのもこの時期でした。音楽院は主に器楽教育(特に管楽器)を行っており、その使命は各分野のメソッドを設計することと、祝祭日に参加することにあります。革命的な作曲家が教師に任命されています。
革命的な饗宴を行うためには、音楽家を養成することが不可欠でした。それは、ベルナール・サレット(1765-1858)、フランソワ=ジョゼフ・ゴセック(1734-1829)、ヤサント・ジャダン(1776-1800)、ジャン=フランソワ・ル・スュール、(1760-1837)、エティエンヌ=ニコラ・メユール(1763-1817)、
シャルル・シモン・カテル(1773-1830)などによって作曲された最初の特別なレパートリーとともに最初の吹奏楽団が結成されたまさにその時でした。
ファンファーレとは異なり、この時代の吹奏楽団のための作品には軍事的な意味合いはなく、作曲家たちは、統治者の栄光のために作曲するので、ほとんどの場合、衝突することなく、出来事を通過します。彼らは常に権力のそばにいて、権力に仕えているのです。
b. ≪ ラ・マルセイエーズ ≫
1789年にストラスブール大聖堂の管弦楽団長に就任したイグナツ・プライエル(イニャス・プレイエル)(1757-1831)は、モーツァルトをはじめとする同時代の作曲家たちに認められた才能ある作曲家であり、同時代で最も人気があり、最も演奏された音楽家です。1791年の≪自由の讃歌(Hymne a la Liberte)≫や、1792年4月20日以降のライン軍のための戦争歌など、いくつかの革命的な賛美歌を制作しました。同年、ストラスブール駐屯地の大尉クロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リール(1760-1836)と出会い、彼が詞を付け加えました。文章と音楽は編集され、この歌は軍隊で大成功を収め、コピーは流通し、新聞でも配布され、特に6月23日の≪Journal des departements meridionaux de Marseille ≫に掲載されました。
パリを守るために、ルイ16世の拒否権にもかかわらず、マルセイユで組織された大隊を含む国民軍の連邦は、7月2日にパリに向けて出発。7月30日にパリに到着するまでの間、彼らの進行を通して、ラインの軍隊のための戦争の歌が普及しました。この戦争の歌は、このようにして、マルセイユからの人の歌となり、その後、≪ラ・マルセイエーズ≫となったのです。
1795年7月14日、条約で≪ラ・マルセイエーズ≫が国歌として採択されました。
グルックの彼に対する侮辱とは裏腹に、フランソワ=ジョゼフ・ゴセック(1734-1829)は尊敬すべき作曲家です。9月30日、彼は叙情的な場面である「自由のためのオフランデ(L’Offrande a la Liberte)」を創作し、その中には「ラ・マルセイエーズ」のオーケストレーション(最初のもの)が含まれていました。この公演は大成功を収め、1799年までに100回以上上演されました。オーケストラは交響楽団に含まれる管楽器一式で構成されています。吹奏楽団は屋外で演奏するので、1つ増幅します。合唱団、ソリストの横には、ピッコロとフルート、クラリネット、オーボエ、ファゴット、トランペット、ホルン、トロンボーンのグループがありますが、ストリングベースとオフィクレイド(サックスとチューバはまだ存在しません)もあります。
この楽譜は、≪ラ・マルセイエーズ≫の14のヴァージョンの第一弾です。リード楽器と金管楽器のみで構成されたオーケストラは、市民の饗宴のための多くの音楽のページを生み出すことになります。
c. 第一帝政時代の軍事音楽
第一帝国(1804-1815)の間に、ある人は吹奏楽のための交響曲についてより多くを話します。ナポレオン時代の頃、吹奏楽団はその楽器編成においてまだ発展していきます。他の音楽家は、皇帝ナポレオン・ボナパルトを喜ばせる方法で、異なるキャラクターで、このオーケストラのために書き始めるでしょう。
第一帝政期の軍事音楽は、革命期のものを直接継承したものです。オーケストラの編成はアンシャン・レジーム時代から変わっていませんが、スタイルは進化しており、リズムは相変わらず毎分60歩ですが、新たな特徴として、行進のリズムや伴奏だけではなく、太鼓(軍用太鼓)に与えられた役割が現れています。すでに≪リガウドン・ドヌール≫、≪グレナディエール≫、≪カラビニエール≫などの曲がありましたが、これらは帝国時代にさらに発展していきます。このような側面は、兵装兵団の指揮者ギラルデルが作曲した「マレンゴのマルシェ」のような行進曲に、ますます顕著に現れているのがわかります。
その後、フリードリヒ・ベール (1794-1838)、ジョゼフ・デイヴィット・ブール (1781-1860)、ロベルト・フックス (1752-1821)の作品を中心とした騎兵ファンファーレが登場し、主に当時の騎兵ファンファーレのために作曲されました。ですので、ナチュラル・トランペットとティンパニのみです。
帝国の主要な軍事地域には、帝国軍の傘下である≪帝国ファンファーレ(Les Fanfares de l’Empire) ≫があり、これが19世紀初頭に最初のオルフェオンの起源となり(オルフェオンのもう一つの構成要素は、合唱と宗教的な男性のオルフェオンです)次の数十年の間に増殖します。
ファンファーレのレパートリーとともに、作曲家は軍のオーケストラのための音楽(賛美歌、小交響曲、組曲、序曲)を作り続けましたが、これらの軍のオーケストラに触発されて生まれた最初の市民吹奏楽団(またはコミュニティ吹奏楽団)のための音楽も作り続けています。しばしば「州兵の音楽」と呼ばれ、退役軍人を中心に構成されることが多いですが、これらのオーケストラは今もなお、レパートリーを提供してくれる各都市の音楽院と結びついています。彼らは愛国的な集会や、地元や国の祭りに参加しています。
2. 1800年~1850年:技術進歩の50年
オルフェオン、コミュニティバンド、ミリタリーバンドは、楽器製作の進歩により、その発展のペースが顕著になりました。木管楽器と金管楽器は、特に最初のピストン・トランペットの誕生、17本のキィを持つベーム・システム・クラリネット、アドルフ・サックス(1814年~1894年)の発明などによって、新しい技術的な演奏が可能になりました。
a. アドルフ・サックス : 優秀な発明家
発明家の家系に生まれたアドルフ・サックスは、楽器の開発と改良に多大な貢献をしました。彼はクラリネットだけでなく、ナチュラル楽器(トランペット、ホルン)を改良し、キィとピストンの使用を確立しました。その主な考え方は、楽器の音色や音は、使用される素材の性質によって決まるというものです。これは、彼が1840年から1850年の間にサクソフォーン・ファミリーとその後サクソルンのそれを作成した方法です。サックスはこれらすべての楽器を製造し、改良し、それらをファミリーによって進化させ、ご存知のようにBbとEbの交互の均質なグループを得ることができました。
b. エクトル・ベルリオーズとウィンドバンド
1840年、フランス政府は、1830年の革命10周年を記念して、バスティーユ広場の新柱の落成を祝うために、ローマ賞を受賞したばかりのエクトル・ベルリオーズ(1803-1869)に、「大規模な軍が暗い」のための大規模な音楽的フレスコ画の制作を依頼しました。大規模な軍楽隊の行進に合わせて24頭の馬が50人の殉教者の棺を入れた巨大な霊柩車(新柱の下に置かれる)を引き、200人の楽器奏者によるオーケストラが行進の間ずっと演奏を続けました。
ベルリオーズはアドルフ・サックスが行っていることに興味を持っていましたが、サクソフォーンやサクソルンはまだ開発されていないので使いません。それにもかかわらず、チューバとバス・クラリネットを導入したのが「葬送と勝利の大交響曲」op.15です。この作品は、葬送行進曲、追悼、アポテオーズの3つの楽章からなります。
この作品は革命期の市民の儀式から非常にインスピレーションを受けたもので、効果的で抑制されていますが、それにもかかわらず偉大さに満ちています。この作品の価値を知った彼は、後にこの作品のコンサート版を制作し、チェロとバスのためのセクションを追加し、何よりも第3楽章に合唱を加えました。
この作品は吹奏楽の革命的な時代を締めくくるものです。
c. フランスの吹奏楽のための新しい体系
アドルフ・サックスの発明により、フランスの吹奏楽団の体系が大きく進化しました。1854年の政令により、ファンファーレや軍のオーケストラは吹奏楽団との統合を義務付けられました。軍の指揮者の中には、サクソルンをクラシックのハーモニーに統合することに同意した者もいれば、サックスの楽器のみを使用することを望む者(結果的にフルート、オーボエ、ファゴット、その他のクラリネットが離れることになる)もいましたが、他にも進化を拒む者もいます。このように、長年にわたり、軍のオーケストラのための作曲は、交響楽団の小さなハーモニーからの楽器の使用を放棄しています。つまり、フルート、オーボエ、クラリネット、ホルンとファゴットです。
これは1848年の新共和国が望んだ改革であり、アドルフ・サックスが製作した新しい楽器を使用して、≪Musique des Guides de la Garde Imperiale≫(1852年)、その後≪ギャルド・レピュブリケーヌ≫(1854年)というオーケストラを創設することにつながっています。
3. 1850~1930年:吹奏楽の黄金時代
19世紀には、農村部からの移住の発展が見られました。多くの農民が工業都市に移住しました。季節や農業生活の状況にリンクされた伝統的な音楽は、放棄され、無視されました。これらの音楽はオルフェオニック音楽に取って代わられた、つまりポピュラーなアマチュア音楽です。音楽の学習は、その後修正されます。
a. 伝えられる音楽から教えられる音楽へ
3つの主要なアイデアが配置されています:、つまりスコア、ソルフェージュと楽器教育のための必要性です。音楽はオルフェオンやコミュニティバンド(しばしばボランティアの教育者によって)だけでなく、出現し始めている音楽学校で教えられます。
この時代のレパートリーは、オリジナルのレパートリーには行かずに、吹奏楽のための交響曲のトランスクリプションに留まっています。いわゆる≪学者的≫な音楽は、≪大規模なオーケストラのためのもの≫であったため、労働者階級に浸透していきます。
当時のトランスクリプションを行うための偉大なモデルは、次のとおりでした。クラリネットの音色はバイオリンの音色に、サックスの音色はチェロの塊に置き換えなければならない、など・・・
しかし、多くの作曲家は、この新しいオーケストラの体系を使って、これらの新しいウィンドバンドをより良くするために、違った書き方をしたいと思うでしょう。
b. ウィンドオーケストラの教育的役割
この80年の時代の間に、フランスでは吹奏楽コンクールやフェスティバルが盛んに行われていました。いたるところにキオスクが設置され、エクトル・ベルリオーズ(1803-1869)、カミーユ・サン=サンス(1835-1921)、フローラン・シュミット(1870-1958)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)などの著名な作曲家が吹奏楽団のために作曲をしています。1900年、ガブリエル・フォーレはパリ音楽院の教授を務めました。ベジエ(フランスの都市の名前)のアリーナの落成式のために、重要な作品「プロメテ」を作曲するように依頼されました。この大きなフレスコ画は、二つの吹奏楽団のために作曲され、二つの吹奏楽団、聖歌隊、六人の合唱団、朗読者のためにオーケストレーションされることになります。
これらの作曲家によって、吹奏楽は各楽器のカラーパレットを使って 表現力を最大限に引き出されています。吹奏楽とシンフォニック・オーケストラを比較することは、もはや気になりません。
20世紀初頭には、レパートリーもポピュラー音楽や祭事に合わせたものとなり、ワルツ、組曲、バレエ、ポルカ、マズルカ、交響曲のトランスクリプションなどのキオスク音楽が発展しました。
そのため、オーケストラはフランス全土に広がっているこれらの音楽の伝播に大きな役割を果たしています。
c. 一例:≪ギャルド・レピュブリケーヌ≫
国内での名声に加え、1872年に初めてアメリカを訪れて以来、国際的にも大きな成功を収めています。それ以来、海外での演奏会を重ねることで、このオーケストラの名声は世界中に知られるようになりました。
ギャルド・レピュブリケーヌは、17世紀から今日に至るまでの古典音楽のレパートリーを演奏することができます。吹奏楽団の創立以来、カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)やモーリス・ラヴェル(1875-1937)の作品を偉大な作曲家の指揮の下、数多く演奏してきました。フローラン・シュミット(1870-1958)がこのオーケストラのために特別に作曲した作品、「ディオニソスの祭り」は吹奏楽のレパートリーの中で最も魅力的で革新的な作品の一つで、1925年に作曲家が指揮しました。
19世紀後半から絶え間なく進化を続け、ギャルド・レピュブリケーヌは現在ではパリとリヨンの国立音楽院(CNSMD)を中心に120名のプロの音楽家で構成されています。
4. 1930年~1980年:衰退の時代
この時代、異なるウィンドバンドは、互いに多様な要素が多く、多くの問題を抱えていました。
a. 状況が悪化していること
多くの吹奏楽団(特に村のオーケストラ)は、パレード、村のパーティー、お祭り、その他の愛国的なお祭りを通じて維持されています。そのため、これらのオーケストラは、コンサートに行くことのない、あるいはごくまれにしか行かない聴衆を対象としています。さらに、その運営(音楽的なことでさえも)の指揮は、音楽的な知識を持っていても、これらのオーケストラのレパートリーや技術の幅を広げることができない人たちに委ねられています。
さらに、これらのオーケストラの中の音楽家のモチベーションは以前とは異なり、アマチュアの音楽家が不足し始め、オーケストラが合併したり、消滅したりしています。演奏されるレパートリーに飽きてしまう音楽家もいます。つまり、その時にプログラムに乗せられた音楽は、素晴らしい品質のものとは程遠いものになっています・・・。今、アマチュア吹奏楽団の存続は、特にその音楽のレパートリーの品質に依存すると言うことは明らかだと思われます!
1945年から、フランスの吹奏楽団の≪黒い年≫が始まりました。戦争によって多くの音楽家が散り、趣味の重要性が増し、ある者にとっては全てを再構築する必要がありました。
吹奏楽団の再建は、多くの財政的、物質的、人的犠牲を必要とするので、簡単ではありません。当時、1789年の例を真似ることは困難でした。つまり、1945年に同じ作業をやり直すことができたのは、革命でもフランス革命家でもありませんでした!
b. 吹奏楽のための2つのスタイルのレパートリー
優れた楽器奏者で構成されているとはいえ、プロの吹奏楽団は、もはやそれほどの関心を集めることはありません。しかし、彼らははその創設以来、アマチュア吹奏楽団の模範となってきました。
彼らのレパートリーは、主に著名な作曲家によって書かれた、かすかなトランスクリプションや入手困難な作品で構成されていることがほとんどであることからも、論争の的となっています。
トニー・オーバン(1907-1981)、デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(1880-1965)、アンドレ・ジョリヴェ(1905-1974)、ガブリエル・ピエルネ(1863-1937)、ジェルメーヌ・タイユフェール(1892-1983)、アンリ・トマジ(1901-1971)などなど。
1936-1937年、作家ロマン・ロランが「七月十四日」を書き、間奏曲のために何人かの作曲家に作曲を依頼したが、そのうちのいくつかは吹奏楽のための音楽史に残るものであった。シャルル・ケクラン(1867-1950)が「自由(Liberte)」を、ジャック・イベール(1890-1962)が序曲を、ジョルジュ・オーリック(1899-1983)が「パレ・ロワイヤル」を、アルトゥール・オネゲル(1892-1955)が「バスティーユのほとりのマルシェ」を、そしてダリウス・ミヨー(1892-1974)、アルベール・ルーセル(1869-1937)、ダニエル・ラザルス(1898-1964)が作品に貢献している。フランス革命200周年を記念して出版されたこの楽譜は、海外では演奏されているが、フランスではほとんど演奏されていない。
また、アルベール・ルーセル(Albert ROUSSEL, 1869-1937)の「栄光の日(A Glorious Day)」や、ダリウス・ミヨー(Darius MILHAUD, 1892-1974)の「フランス組曲」、「ウエスト・ポイント組曲」などが挙げられます。
困難を克服し、音楽的なレベルを上に戻そうとするために、いくつかのオーケストラは、マーチングバンドとマジョレット(バトントワリング)で地元の民話を再現することによって、米国の例をコピーしています。そこで演奏される音楽は、音楽的にはほとんど面白くありません(マーチ、商業音楽の悪いトランスクリプション、ジャズなど…)。
フランスではこの時期に多くの連盟が設立されましたが、その中でも最も有名なのが「バッテリー=ファンファーレ連盟」(1947年)と「フランス音楽連盟」(1948年)で、これらの連盟の活動は基本的に大規模な祝賀会や誕生日を口実にしています。これらのイベントに参加しないオーケストラはほとんどなく、そのため、吹奏楽団のためのオリジナルの質の高いレパートリーを聴くことができるコンサートよりも、パレードや愛国的な祭りの方が多くなっています。
さらに、各地域の連盟が会議、フェスティバル、コンクールを開催し、吹奏楽団を各オーケストラの技術的・音楽的レベルを反映したカテゴリーに分類しています。これまではほとんど発展していませんでしたが、フランスでは、コンクールを通じた競争という新しいアイデアが登場しています。これらのコンクールによって、パレード・オーケストラとコンサート・バンドという2つのタイプの吹奏楽団が誕生することになるでしょう。
5. 80年代 : フランスにおける吹奏楽団の復活
80年代に登場した「ニュー・ルック」の吹奏楽団。彼らは、公式な役割をあまり意識せず、フランスや海外の作曲家の中からオリジナルのレパートリーを選び、音楽的な側面を重視した活動をしています。彼らの主な目標は、コンサートで演奏し、その音楽を発見してもらうことにあります。
a. オリジナルのレパートリー
音楽舞踊庁(文化省)は、音楽院出身の若い音楽家が何よりもそこで音楽を演奏したいと考えて結成されたことを理解して、これらの新しい吹奏楽団の開発を推進してきました。そして、若い世代を惹きつけるのは商業音楽ではありません。
オリジナルのレパートリーについて語るとき、二つの種類の作品の出現を区別することができます。
1. 吹奏楽のみを仕事とする作曲家の作品。
2. 州の依頼。
b. 吹奏楽のためのフランスのオリジナル曲
この頃には、15年、20年と書かれていた作品がいくつかありましたが、演奏されたのは最近のことです。デジレ・ドンディーヌ(1921-2015)、イダ・ゴトコフスキー(1933)、セルジュ・ランセン(1922-2005)、ロジェ・ブトリー(1932-2019)のように、各楽器の音と能力を最大限に活用する方法を知っていた作曲家を発見し、ウィンドバンドを強調しています。
この15年のインターバルは、いくつかのオーケストラの中に君臨していたある種の不安の表れです。この種の作品は、しばしば批判されてきたトランスクリプションに徐々に取って代わることを目指しています。吹奏楽団は、オーケストレーションの乏しい作品や、管楽器への適合性の乏しい作品よりも、もっと良いものを求めています。
今日では、楽器の製造にもたらされた改善は、吹奏楽団が音色の非常に大きな豊かさを含む独自の資質を持っているようなものです。その可能性は大きく、もはやパレードや地元の民俗学の対象として考えられるべきではありません。
c. ウィンドバンドに関する州の依頼
音楽舞踊庁(文化省)では、アマチュア音楽家のための作品を制作・制作することを使命とする作曲家に作品を発注しています。イダ・ゴトコフスキー夫人が言うように、≪アマチュアとなら、いつでも困難を乗り越えることができる。時には能力の低い音楽家が、素晴らしい結果を出すこともある。作曲家とのコンタクトが基本です。指揮者が我々を必要としているなら、我々も彼らを必要としている ≫。
6. 80年代から現在まで : 新しいレパートリーの構築
フランスの吹奏楽団の大部分がアマチュアで構成されているという事実は、レパートリーの作成に影響を及ぼすことがないわけではありません。アマチュア吹奏楽団のために新しい曲がまず開発され、出版社は時代の流れに合わせなければなりません。ジャズやロックのグループとは異なり、吹奏楽団は明確な音楽スタイルを主張することはほとんどありません。そのため、ポップ・ロック・スタンダードのカバーは、映画やアニメの音楽と同様に、より多くの数があります。
フランス文化省が最近発表した調査によると、フランスの吹奏楽団の伝統的なレパートリーのプロモーションが減少していることが確認されました。フランス音楽は演奏されるレパートリーの31%を占めています(創作曲の1%、オリジナル曲の11%、フランス作品のオーケストレーションとトランスクリプションの19%)が、アメリカとオランダの音楽はレパートリーの32%を占めており、これにアメリカからトランスクリプションされた映画や商業音楽の15%を加えなければなりません。アングロサクソン音楽はレパートリーの47%を占めています。最後に、レパートリーの22%は世界の他の地域(ロシア、ラテンアメリカ、日本、東南アジア)に由来しています。しかし、演奏される作品の大部分は、同じ文化、同じ標準化された楽譜の書き方に由来しています。
コレクションが豊富な交響楽団とは異なり、吹奏楽団には一般に知られている参考レパートリーがありません。また、フランスの多くのテレビやラジオのチャンネルでは、ウィンドバンドのための作品が放送されることはほとんどありません。そのため、コンサート・バンドの指揮者たちは、インターネットを利用してレパートリーを検索することにますます集中しています。
アマチュア・オーケストラのためにデザインされ、適応された新しいレパートリーの作成は、フランスの吹奏楽界にとって大きな一歩です。これは、各オーケストラがコンサートのために音楽を放送するという機能に戻ることができるための確固たる基盤となっています。
最後に:
ウィンド・バンド、コンサートバンド、ウィンド・アンサンブル、シンフォニック・バンド、シンフォニック・ウィンド・オーケストラ、…どんな命名法であっても、木管楽器、金管楽器、打楽器の栄光の音は、今日、教育と軍事音楽部門の中心にあります。
吹奏楽のコンセプトは3世紀以上も前に根付き、それ以来進化を続けてきました。1789年のフランス革命後、≪パリ国立衛兵団(Fanfare de la Garde Nationale de Paris)≫の設立が、アンサンブルの現代的な形への発展に大きな弾みをつけました。
その一世紀後には、有名な「ギャルド・レピュブリケーヌ」がアメリカで初のツアーを行い、その後も海外での演奏会を重ね、世界中にその人気を広めていきました。
長い間、フランスは吹奏楽団にとって最も重要な音楽的遺産を持つ国でした。20世紀の前半には、確立されたフランスのクラシック作曲家たちがその大義を唱え、現代の作曲家たちはこのジャンルのカタログにモダニズム的なエッジを与え続けています。
したがって、音楽遺産という概念は、過去からの遺産であり、保存され、伝達されなければならないものです。1959年から1969年まで作家で文化大臣を務めたアンドレ・マルロー(1901-1976)は、「遺産とは、私たちが愛し、後世に残し、伝えたいと思うものであり、歴史の証人である」と断言しています。
200年以上のレパートリーを持つ吹奏楽団には、本当に≪フランス色≫があり、私たちの義務と責任は次の世代に引き継がれています。
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Wind Bands in France
Jean-Philippe VANBESELAERE
Part II
Evoking French Music for Wind Band forces us to take a big step backwards : to go back to the time of the Ancien Regime (historical period which began in the XVIth century and which ended in 1789 when the French Republic was created) where some groups of wind instruments were used, in an indistinct and loosely organized form, to perform at concerts.
In order to present the repertoire of Wind Bands in France, it therefore seems important to refer to a heritage repertoire beginning with the French Revolution.
1. 1789-1815 : The Revolutionary period and the Empire
a. The Music for Wind Bands during the Revolutionary period
It was always believed that the Wind Band was military. However, this was not the case in 1790. During the French Revolution, the conception of music was different. In the revolutionary spirit, there was a need to say things, to celebrate events; hence the need to ask musicians to play their wind instruments in the open air at celebrations, commemorative and civic ceremonies.
As the French Revolution is in full swing, the best French artists are called upon to celebrate these new times of freedom, equality and fraternity. It was also at this time that the School of Municipal Music of Paris was created (founded in 1792 and directed by Francois-Joseph GOSSEC to train the instrumentalists of the Music of the National Guard brought together by Bernard SARRETTE in 1790) which became Conservatory of Music in 1794. The Conservatory gives off primarily instrumental education (especially for wind instruments) and its mission is to design a method for each discipline as well as to participate in national holidays. Revolutionary composers are appointed teachers there.
For there to be revolutionary feasts, it is essential to train musicians. It was then that the first Wind Bands were created with a first specific repertoire composed by Bernard SARETTE (1765-1858), Francois Joseph GOSSEC (1734-1829), Hyacinthe JADIN (1776-1800), Jean-Francois LESUEUR, (1760-1837), Etienne Nicolas MEHUL (1763-1817), Charles-Simon CATEL (1773-1830), etc …
Unlike the Fanfares, all the works for Wind Bands of this period have no military connotation and the composers will pass through the events, without clash for the most part, since they will compose to the glory of those who govern. They will always remain near and at the service of power.
b. ≪ La Marseillaise ≫
Having become Master of Orchestra of Strasbourg Cathedral in 1789, Ignace PLEYEL (1757-1831) – a talented composer recognized by his peers, foremost among them Mozart – is the most popular and most performed musician of his time. He created several revolutionary hymns including ≪ Hymne a la Liberte ≫ in 1791 and, after April 20, 1792, a war song for the Army of the Rhine. The same year, he met Claude-Joseph ROUGET DE LISLE (1760-1836), captain of the Strasbourg garrison, who added words to it. Text and music are edited; the song has great success with the troops; the copies circulate, the newspapers distribute it, in particular on June 23 in the ≪ Journal des departements meridionaux de Marseille ≫.
To protect Paris, and despite the veto of King Louis XVI, one appealed to the Federates of the National Guards, including a battalion formed in Marseille set out for Paris on July 2, popularizing the Song of War for the Army of the Rhine while throughout his progression, until his arrival in Paris on July 30. This war song thus became the song of the persons from Marseille, then ≪ La Marseillaise ≫.
On July 14, 1795, the Convention adopted ≪ La Marseillaise ≫ as the national anthem.
Despite Gluck’s umbrage on him, Francois Joseph GOSSEC (1734-1829) is an esteemed composer. On September 30, he created a lyrical scene, ≪ L’Offrande a la Liberte ≫, which included an orchestration (the first) of ≪ La Marseillaise ≫. This show was a great success, it was performed over a hundred times until 1799. The orchestra consists of a set of wind instruments from the symphony orchestra. One amplify the Wind Band because it plays outdoors. Next to a choir, a soloist, there is a group of Piccolo and Flutes, Clarinets, Oboes, Bassoons, Trumpets, Horns and Trombones, but also String Basses and Ophicleides (the Saxophones and Tubas do not exist yet).
This score is the first of fourteen versions of ≪ La Marseillaise ≫. The orchestra, composed only of Reed instruments and Brass instruments, will give birth to many musical pages for civic feasts.
c. Military music in the time of the First Empire
During the First Empire (1804-1815), one speak more of symphonic music for Wind Band. Around the Napoleonic age, the Wind Band will still develop in its instrumentation. Other musicians will begin to write for this orchestra, with a different character, in a way that will please the Emperor Napoleon Bonaparte.
The military music of the First Empire is the direct heir to the one of the Revolution. The composition of an orchestra has not changed since the Ancien Regime, but the style has evolved; the rhythm is still 60 steps per minute but a new characteristic appears : the role given to the drum (military drum), which is not limited itself to give the rhythm of the march or to make the accompaniment. He now has pieces to himself (≪ Rigaudon d’Honneur ≫, ≪ La Grenadiere ≫, ≪ La Carabiniere ≫, etc …) which will be further developed during the Empire. We find this aspect more and more marked in marches such as the ≪ Marche de la Garde Consulaire a Marengo ≫ composed by GUILLARDEL, conductor of the Grenadiers de la Garde des Consuls.
Then, came the Cavalry Fanfares (with the Cavalry trumpets) with works by Frederic BERR (1794-1838), Joseph-David BUHL (1781-1860) or Robert FUCHS (1752-1821), composed mainly for cavalry fanfares of the period, so, only natural trumpets and timpani.
The main military regions of the Empire are also endowed with subsidiaries of the Imperial Guard : ≪ Les Fanfares de l’Empire ≫ which, in turn, will be at the origin of the first Orpheons at the beginning of the XIXth century (the another orpheonic component being choral and male, of religious origin) which will proliferate during the following decades.
Along with the Fanfares repertoire, composers continue to produce music (hymns, small symphonies, suites, overtures) for military orchestras but also for the first citizen wind bands (or community wind bands) which are born on the impetus of these military orchestras. Very often called ≪ Music of the National Guard ≫ and usually constituted by a large majority of veterans, these orchestras are still linked to the conservatories of their city which provide them with the repertoire. They take part in patriotic gatherings and local and national festivities.
2. 1800 – 1850 : Fifty years of technical progress
The Orpheons, Community Bands and Military Bands see their pace of development marked by the progress of the instrument making. Woodwinds and Brass instruments were given new technical performances, notably with the birth of the first Piston Trumpet, the 17-keys Boehm System Clarinet and the inventions of Adolphe SAX (1814-1894).
a. Adolphe SAX : a brilliant inventor
Born in a family of inventors, Adolphe SAX has considerable importance in the development and improvement of instruments. He improves Clarinets as well as natural instruments (Trumpets and Horns) for which he establishes the use of keys and pistons. Its main idea is that the timbre and the sound of instruments are determined by the nature of the material used. This is how he created in the years 1840-1850 the Saxophone family and then that of the Saxhorns. SAX manufactures and improves all these instruments, making them evolve by families, thus obtaining homogeneous groups with the alternation of Bb and Eb.
b. Hector BERLIOZ and the Wind Band
In 1840, the French government requested Hector BERLIOZ (1803-1869) – who has just won his Prix de Rome – to write a large musical fresco for ≪ Grande Harmonie Militaire≫ (Big Military Band), in order to celebrate the inauguration of the new column from the Place de la Bastille, thus commemorating the tenth anniversary of the Revolution of 1830. Accompanied by a large military procession, twenty-four horses were to pull a huge hearse containing the coffins of fifty martyrs (which would then be placed under the new column), while the 200-instrumentalists orchestra was to play throughout the procession.
Very young interested in what SAX does, Berlioz accepts but he doesn’t use Saxophones and Saxhorns, these instruments are not yet developed. Nevertheless, he introduced the Tuba and the Bass Clarinet in his composition : the ≪ Symphonie funebre et triomphale ≫ opus 15. This work contains 3 movements : a funeral march, a funeral oration and an apotheosis.
This is a production very inspired by the civic ceremonies of the revolutionary period : effective and restrained, but nevertheless full of greatness. Aware of its value, he later made a concert version of it, adding sections for Cellos and String Basses, and above all adding a chorus in the third movement.
This piece closes the revolutionary era for the Wind Band..
c. A new nomenclature for Wind Band in France
With the inventions of Adolphe SAX, it is a profound evolution which definitely marks the nomenclature of the French Wind Band. A decree of 1854 obliges fanfares and military orchestras to unite with Wind Bands. Some military conductors agree to integrate the Saxhorns with the classical harmony, others want to take only the instruments of SAX (consequently leaving the Flutes, Oboes, Bassoons and other Clarinets), still others refuse any evolution. Thus, and during many years, compositions for military orchestras have abandoned the use of instruments from the small harmony of symphonic orchestras : Flutes, Oboes, Clarinets, Horn and Bassoon.
It’s the reform desired by the new Republic of 1848 which leads to the creation of the ≪ Musique des Guides de la Garde Imperiale ≫ (1852) then of the orchestra of the ≪ Garde Republicaine ≫ (1854), with the use of all new instruments created by Adolphe SAX.
3. 1850 – 1930 : The golden age for Wind Bands
The XIXth century saw the development of the rural exodus. A large number of peasant populations emigrated to the industrial cities. Traditional music, linked to the seasons and the circumstances of agricultural life is abandoned, neglected. These music have been replaced by orpheonic music : popular Amateur music. The learning of Music is then modified.
a. From Music transmitted to Music teached
Three main ideas are put in place : the score, the need for Solfege and instrumental teaching. Until then transmitted, Music will be taught within Orpheons and Community Bands (most often by volunteer pedagogues) but also in Music Schools which are starting to emerge.
The repertoire of this period remains confined to the transcription of symphonic works for Wind Bands, without going to the original repertoire. So-called ≪ scholarly ≫ Music which was reserved for ≪ large orchestras ≫ therefore infiltrates the working class.
The great model of the time for carrying out a transcription was : the timbre of Clarinets must replace that of Violins, the timbre of Saxophones must replace the mass of Cellos, etc …
But many composers will want to use this new orchestral nomenclature to write differently and enhance these new Wind Bands.
b. The educational role of Wind Orchestras
It was during this 80-year period that competitions and festivals for Wind Bands multiplied in France. Kiosks are erected everywhere and, important thing, renowned composers such as Hector BERLIOZ (1803-1869), Camille SAINT-SAENS (1835-1921), Florent SCHMITT (1870-1958) or Gabriel FAURE (1845-1924) compose for the Wind Bands. In 1900, Gabriel FAURE was professor at the Paris Conservatory. For the inauguration of the arenas of Beziers, he was requested to write an important work : ≪ Promethee ≫. He therefore composed for two Wind Bands this large fresco which will then be orchestrated for two Wind Bands, a choir, six choristers and reciters.
With these composers, the color palette of each instrument of Wind Band is used. The expressive potential is exploited to the maximum. One no longer bother to make comparisons between Wind Band and Symphonic Orchestra.
At the start of the XXth century, the repertoire was also adapted to popular music and festivities, and the kiosk musics developed : waltz, suites, ballets, polkas, mazurkas, transcriptions of symphonic works, etc …
Orchestras therefore play a role in propagation of these musics which is spreading throughout France.
c. One example : the ≪ Orchestre de la Garde Republicaine ≫
In addition to its national fame, the ≪ Orchestre de la Garde Republicaine ≫ has also enjoyed great international success since 1872, the year of their first tour of the United States. Since then, other series of concerts abroad have confirmed the prestige of this orchestra throughout the world.
The ≪ Orchestre de la Garde Republicaine ≫ is able to perform all the classical musical repertoire from the XVIIth century to the present day. During its existence, the Wind Band had the honor of performing a number of works by Camille SAINT-SAENS (1835-1921) or Maurice RAVEL (1875-1937) under the baton of these great composers. Florent SCHMITT (1870-1958) composed especially for this orchestra : ≪ Les Dionysiaques ≫, one of the most fascinating and innovative works in the repertoire of Wind Bands, created and conducted by the composer in 1925.
Constantly evolving since the second half of the XIXth century, the ≪ Orchestre de la Garde Republicaine ≫ is now composed of 120 professional musicians, mainly from the National Conservatories (CNSMD) of Paris and Lyon.
4. 1930 – 1980 : A period of decline
The different Wind Bands encountered many problems during this period, due to a large number of elements as diverse as each other.
a. A deterioration of the situation
A large number of Wind Bands (and in particular the village orchestras) are maintained through parades, village parties, fairs and other patriotic festivals. These orchestras are therefore intended for an audience that never – or very rarely – goes to concerts. In addition, their administrative (even musical) direction is entrusted to people whose musical knowledge doesn’t allow the repertoire and skills of these orchestras to be broadened.
Furthermore, the motivations of musicians within these orchestras are different from before; Amateur musicians begin to lack, orchestras merge or disappear. Some musicians get tired of the repertoire that is performed : the Music put on the program at that time is nowhere near from being of great quality … Now, it seems obvious to say that the survival of an Amateur Wind Band depends also and especially of the quality of its musical repertoire !
As from 1945, the ≪ Black Years ≫ of the French Wind Bands began. The war has dispersed a large number of musicians, hobbies are growing in importance and, for some, one need to rebuild everything.
The reconstruction of a Wind Band isn’t easy because it requires a lot of financial, material and human sacrifices. At that time, it was difficult to copy the example of 1789: it was neither the Revolution nor the French revolutionaries who could start the same work over again in 1945 !
b. Two styles of repertoire for Wind Bands
Although made up of excellent instrumentalists, professional Wind Orchestras no longer arouse the same interest. However, they remained the example of Amateur Wind Bands since their creation. Their repertoire is also disputed because it most often consists of poor transcriptions or works that are difficult to access, written mainly by renowned composers : Tony AUBIN (1907-1981), Desire-Emile INGHELBRECHT (1880-1965), Andre JOLIVET (1905-1974), Gabriel PIERNE (1863-1937), Germaine TAILLEFERRE (1892-1983), Henri TOMASI (1901-1971), etc …
Some of them, however, marked the History of Music for Wind Bands : in 1936-1937, the writer Romain ROLLAND wrote ≪ Quatorze Juillet ≫ and called on several composers to write the music for the interludes. Charles KOECHLIN (1867-1950) will write ≪ Liberte ≫, Jacques IBERT (1890-1962) an overture, Georges AURIC (1899-1983) ≪ Palais Royal ≫, Arthur HONEGGER (1892-1955) ≪ Marche sur la Bastille ≫ as well as Darius MILHAUD (1892-1974), Albert ROUSSEL (1869-1937), and Daniel LAZARUS (1898-1964) who will contribute to the work. Republished on the occasion of the bicentenary of the French Revolution, these scores are performed abroad but very rarely in France.
We can also cite ≪ A Glorious Day ≫ by Albert ROUSSEL (1869-1937) american commission, or ≪ Suite Francaise ≫ and ≪ West-Point Suite ≫ by Darius MILHAUD (1892-1974).
To overcome the difficulties and try to go back up the musical level, some orchestras copy the example of the United States of America by recreating local folklore with a Marching Band and majorettes. The music that is performed there is musically hardly interesting (marches, bad transcriptions of commercial music, jazz, etc …).
This is also the period during which many federations were created in France, the two most famous of which are the ≪ Federation Sportive et Culturelle des Batteries-Fanfares ≫ (1947) and the ≪ Confederation Musicale de France ≫ (1948) whose activities are essentially marked by massive celebrations and birthdays becoming a pretext for the gathering of these ever larger federal families. Few of the orchestras don’t join these events; thus, one are witnessing again a higher number of parades and patriotic festivals than concerts where we could listen to the original quality repertoire for Wind Bands.
In addition, the regional federations organize meetings, festivals and competitions which allow the Wind Bands to be placed in a category which reflects the technical and musical level of each orchestra. Up to now little developed, a new idea is therefore appearing in France : competition through contests. These competitions will result in the emergence of two types of Wind Bands : Parade orchestras and Concert bands.
5. The Eighties : The revival of Wind Bands in France
The ≪ New-Look ≫ Wind Bands made their appearance in the ’80s. They paid less attention to their official role and focused their activities on the musical aspect, selecting an original repertoire from among french and foreign composers. Their main goal is to perform and to make people discover this music during their concerts.
a. An original repertoire
The Directorate of Music and Dance (Ministry of Culture) promoted the development of these new Wind Bands by understanding that they were formed above all of young musicians coming from conservatories who wanted above all to play music there. quality. And unlike to what one might think, it’s not commercial music that attracts the younger generation.
When one talk about an original repertoire, one can distinguish the emergence of two kinds of compositions :
1. The works written by composers whose job focuses only on Wind Bands
2. State orders.
b. French original compositions for Wind Bands
At that time, several works had been written for fifteen or twenty years, but have only recently been performed. This is how we discover composers such as Desire DONDEYNE (1921-2015), Ida GOTKOVSKY (1933), Serge LANCEN (1922-2005) or Roger BOUTRY (1932-2019), who knew how to exploit the sounds and capacities of each instrument, thus highlighting the Wind Bands.
This fifteen-year interval is a sign of a certain unease that reigned within some orchestras. This kind of work aims to gradually replace the often criticized transcriptions. The Wind Bands deserves better than poorly orchestrated works and poorly adapted to wind instruments.
Today, the improvement brought to the manufacture of the instruments is such that the Wind Bands has its own qualities including a very great richness of timbres. Its possibilities are huge and it should no longer be considered as an object of parade or of local folklore.
c. State orders for Wind Bands
The Directorate of Music and Dance (Ministry of Culture) orders works from composers whose mission is to create and work for Amateur musicians. As Madame Ida GOTKOVSKY says, ≪ With Amateurs, it is always possible to get around difficulties. Musicians who sometimes have little capacities achieve excellent results. Contact with the composer is fundamental. If the conductors need us, we need them too ≫.
6. From Eighties to nowadays : The building of a new repertoire
The fact that the vast majority of Wind Bands in France are made up of Amateurs is not without consequences for the creation of a repertoire. New compositions are developed firstly for Amateur Wind Bands and publishers must adapt to current trends. Unlike Jazz or Rock groups, Wind Bands make little claim of affiliation with a well-identified musical style. Thus, the covers of Pop-Rock standards are more and more numerous, as well as the films or cartoons’s musics.
A study recently published in France by the Ministry of Culture seems to confirm a great creativing activity but also a decline in the promotion of the heritage repertoire of the French Wind Band. French Music represents 31% of the repertoires performed (1% of creation, 11% of original music, 19% of orchestrations and transcriptions of French works), American and Dutch music represent 32% of the repertoires, to which must be added 15 % of film and commercial music transcribed from the United States of America. The total for Anglo-Saxon music is 47% of the repertoires performed. Finally, 22% of the repertoires have their origin in the rest of the world (Russia, Latin America, Japan, South-East Asia). But the large majority of the works performed come from the same culture and the same standardization of musical writing.
Unlike symphonic orchestras which have a rich editorial collection, the Wind Bands don’t have a reference repertoire that is knowed by the general public. In addition, the many television and radio channels in France almost never broadcast works for Wind Bands. The Concert Bands’s conductors are therefore increasingly concentrating their repertoire searches on the Internet : this unlimited access has completely upset the way of thinking about the building of a program of specific works for Wind Bands, at the same time original, personalized and unique.
The creation of a new repertoire, designed and adapted for Amateur orchestras is a big step for the renewal of Wind Bands in France. It represents a solid base so that each orchestra can go back to its function of broadcaster of Music for concerts.
Wind Band, Concert Band, Wind Ensemble, Symphonic Band, Symphonic Wind Orchestra , … Whatever the nomenclature, the glorious sound of massed woodwind, brass and percussion instruments today lies at the heart of educational and military music departments.
The Wind Band concept took root more than three centuries ago and has been evolving ever since : following the French Revolution in 1789, the establishment of the ≪ Fanfare de la Garde Nationale de Paris ≫ (Paris National Guard Band) gave considerable impetus to the development of the ensemble into its modern form ; a century later, the famous ≪ Orchestre de la Garde Republicaine ≫ toured the United States of America for the first time, followed by other overseas concert series, spreading the orchestra’s popularity around the world.
For a long time France was the country which possessed the most important musical heritage for the Wind Bands. The first half of the 20th century saw established french classical composers championing its cause and contemporary composers continue to provide the genre’s catalogue with a modernistic edge.
The notion of musical heritage is therefore a heritage from the past that must be preserved and transmitted. ≪ Heritage is what we love, what we want to preserve and transmit to future generations and which is witness to a history ≫ affirmed Andre Malraux (1901-1976), writer and Minister of Culture from 1959 to 1969.
With more than 200 years of repertoire, there is really a ≪ French color ≫ of the Wind Band that our duty and our responsibility is to pass to next generations.
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