「Cheer Up! みやぎ」提携インタビュー:指揮者 畠山渉さん

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2017年4月7日に、ノンジャンル音楽WEBマガジン「Cheer Up!」を母体としてスタートした「Cheer Up! みやぎ」。宮城県の吹奏楽、クラシックのみならず音楽シーンの活性化を目標に日々更新中だ。このサイトの顔であり、コーディネーターである畠山渉は仙台在住の指揮者。

仙台の老舗吹奏楽団である仙台吹奏楽団や福島大学吹奏楽団の常任指揮者を務めるほか、フットワーク軽く様々な学校や楽団の指導にあたっている。
明るい人柄で親しまれ、ステージでは演奏者も聴衆も魅了するチャーミングさがある、これからが楽しみな指揮者である。

今回は彼の指揮者としての考え方に迫り、また指揮者を目指すまでの生い立ちについてもインタビューした。


—2017年3月に私は畠山さんの指揮のもとで初めて演奏しました。
久しぶりの演奏会で練習期間も短く、うまく演奏出来ず落ち込むことも多かったのですが、畠山さんはうまくいかなかったところが出来るとちゃんとほめてくれて、それが何より嬉しかったです。全員をしっかり見てくれていると感じさせる安心感がありましたね。

畠山:去年スイスで行われたマスタークラスに参加した時に、オーケストラのメンバーから言われてすごく励みになったことがあるんです。
休憩時間にそのメンバーが駆け寄ってきて、「ヘイ、ワタル。あなたの指揮のこういう部分が凄く良かった」って、まず僕の良かったところを述べてくれたんですよ。
その次に、BUTという言葉を使わずに、NEXTって言葉を使ったんです。
「次にもっとこういうことを考えながら指揮をしてみたらどうだい?」

この満足感は何だろう?アドバイスをもらって、早くまた指揮したい!ってワクワクさせられる気持ちになったんですよ。
日本ではよく「ダメ出し」って言葉がありますよね?
マイナスポイントから指摘し、改善していく、そういうのって、「~したい」という意志から、「~してはいけない」という縛られたニュアンスになってしまうこともあると思うんです。

スイスから帰ってきてからは、まず褒めようって思って。
絶対プラスのことから言うように心がけてます。
「良かったよ」「出だしの音色すごくきれいだった」って。
「でも」って言わないことにしました。「次に」って言うことにしました。

—そういうことだったんですね。畠山さんに指導・指揮される人は皆嬉しいと思います。

畠山:人は誰でも褒めてもらえたら嬉しいものです。大人でも子供でも。モチベーションが上がれば自然とやる気が出ますしね。
そういうことを心がけている時期なので、僕のスタンスに共感して頂けたのかな?って感じます。

海外では学んだなあ・・・。
まずYES。そして、BUTを使わずにNEXT。もう、HAPPYですよね?

—子供から大人まで、様々な場所で教えていらっしゃるんですね。
昨年秋からヤマハ仙台店で「はじめての指揮」という講座を担当されているとか。
どんな方が習いに来ているのですか?

畠山:これまでの指揮経験がない人が多いですね。
オーケストラで楽器を演奏していて、「なぜ指揮者はああいう風に振っているんだろう?」って知りたくて受講するという方もいます。
振り方一つで人に与える印象って変わりますよね。
「ああなるほど!だからそういう風に振ってたんだ!」って分かったことがあったみたいです。
実際に自分が指揮をやることで、指揮の見方を勉強してる感じじゃないですかね。

小学校や中学校、高校の吹奏楽部などで指揮をする先生方にもぜひ来て頂きたいなあと思っています。

—今後、どんな講座になればいいなとお考えですか?

畠山:指揮って「その人のもの」っていうのがあると思うんです。
僕が教えたからその生徒さんはみんな僕が教えたとおりになるのではなくて、それぞれのオリジナルが育っていくものだと思うんです。
僕にないものも出てくるだろうし。
教えているようで、結構気付かされることも多いです。教える・教えられるじゃなくて、一緒に学んでいく場になっていけばいいなと思います。

—現在は福島大学吹奏楽団の指揮者、仙台吹奏楽団の常任指揮者を務めていらっしゃるとか。
どういった経緯で指揮者に就任されたのですか?

畠山:これはもう出会いですよね。
福島大学は2011年からです。 仙台のとある中学校のレッスンに行った時に、同じく来ていた講師から「そういえば畠山くん指揮やるんだよね?実はいま福島大で指揮者を探してるんだ。僕、紹介できるんだけど、どう?」って言われまして。すごい偶然なんですよ。
仙台吹奏楽団も同じく教えに行っていた学校の方との繋がりです。

—他にはどんなお仕事をされているのですか?

畠山:スクールバンドのレッスンやアマチュアオーケストラのレッスン、毎日毎日違う感じで動いています。
作編曲もしています。
作曲については、仙台に「ママさんブラスぴよぴよ隊」っていう子育てしながら吹奏楽をやる団体があるんですが、僕は10月の定期演奏会で客演指揮をやることになってまして。
その団体の創設者からの依頼で「ママのうた」という曲をゼロから作曲しました。
ほぼ一カ月は作曲に追われてましたね。7分ぐらいの曲です。

—幅広くご活躍ですが、そもそも5歳からピアノを習い始めたそうですね。きっかけはどんなことだったのですか?

畠山:姉が先にピアノを習っていたんです。その発表会を観に行った時に、一人の男の子が登場してきて、ある意味衝撃だったんですよ。
子供ながらに男がやるものじゃないと思っていたんです。ピアノは女の子がやるものというイメージ。
そんな風に思っていたところ、その男の子が出てきたものだから衝撃的だったんですけど、その子は前屈みたいな変なお辞儀をして(笑)。
なんかそれが面白くて、ピアノやろう!って決めたんですよ(笑)。

—ユニークなきっかけですね(笑)。

畠山:その次の姉のレッスンには自分も付いていって。
玄関あけてバーッと教室まで上がっていって、ピアノの椅子に座って離れなかったそうですよ。

—5歳からどのぐらい習っていたのですか?

畠山:宮城教育大学に受かって気仙沼を離れなきゃならなくなるまで習ってました。
だから高校出るまでずっとやってましたよ。

—そんなに長く習っていたんですね。高校の頃はどんな作曲家の作品を弾いていましたか?

畠山:その頃クラシックを何も分かってなくて。
半分「弾かされて」いたんですよね。母親が厳しかった。毎日一時間練習しろとか。
何があっても絶対にピアノを弾かされていて、「やらなきゃいけない」っていう思いでやっていたから。
作曲家に関しては、ピアノの先生が決めていくものを弾いていました。
最後の最後はベートーヴェンの「月光」をやったんですけど、もうお手上げでしたね(笑)。

—お手上げと言いますと?

畠山:その頃の僕は変わりつつあったんです。
高校に入ってバンドを始めて、ドラム、ギター、ベースをやってたんですけど、そこで初めてコードを覚えて。

「月光」の一楽章って、最初C#mから始まるんですよ。だからC#mならどこ弾いてもいいかなあって、バーン!て弾いたら先生に怒られて。
先生は「ここのド#とここのソ#から始めなさい」「同じコードだからいいじゃん!」って、音楽的な非行に走ってたんですよ(笑)。

今思えば、もっとまじめにやっておけば良かったというのもあるし、すごい勉強になったなっていうのもあるし・・・。
その時はクラシックを勉強しようとは思っていなかった。
もちろん楽しさはあったと思うんですけどね。そうでなかったら長年続かなかっただろうし。

—学生時代はどんな音楽を聴いていたのですか?

畠山:小学6年ぐらいからGLAYを聴き始めて。
当時「パチパチ」「バックステージパス」「GIGS」「バンドやろうぜ」など、GLAYは多くの音楽雑誌の取材を受けていて、毎月のように手にとって大体読んでたんですよ。

GLAYのメンバーのルーツには、ジョン・レノンが出てきたり、X JAPANが出てきたり。
GLAYのメンバーが何を好きだったか?っていうのを掘り下げてみよう!と思い、洋楽を聴くようになりました。
レッチリとかRADIOHEAD、ビョーク。
それが中学の頃ですね。気仙沼のCD屋さんで可能な限り集めました。

—高校に進学してバンド活動を始めたんですよね。

畠山:軽音楽部に入りました。でもあいにく僕の好きなジャンルでバンドをやってる人がいなかったので、とりあえず3ピースバンドを組んで。ジャンルはロックンロール、ロカビリーなど。

—ロカビリーですか!渋い高校生ですね。リーゼントにしたり?

畠山:そうですね。僕、高校の時着てた服はCREAM SODAなんです。
かなりハマりましたね。それこそチャック・ベリーとか、ジーン・ヴィンセント、エディ・コクラン、エルビスとか。ビートルズといっても初期とか。
それと同時に、高校の時は吹奏楽部も掛け持ちしてたんです。

—中学ではなく、高校から吹奏楽を始めたのですか?

畠山:中学までは野球一筋でした。
ドラムをやりたくて高校の軽音楽部のドアを叩いたら、ものすごくドラムの上手い先輩がいたんですよ。
その先輩に「教えて下さい!」って言ったら、「俺、吹奏楽部も掛け持ちでやってるから、打楽器の基本はそっちで教えるから。お前も吹奏楽部と掛け持ちしない?」って言われたんです。

—高校時代は吹奏楽部で指揮をしていたのでしょうか?

畠山:高校2年の中ごろに先輩から引き継いで、生徒指揮をすることになりました。

—それが指揮との出会いだったんですね。

畠山:その時はまだ指揮者になりたいって思っていたわけではないですね。

—そうだったんですね。そして宮城教育大学芸術文化専攻に進学されて。吹奏楽部にすぐ入部したのですか?

畠山:そうですね。その時は迷わなかったですね。
当たり前のように吹奏楽部に入部しました。

—大学時代に、指揮者になりたいと思ったきっかけを教えて頂けますか?

畠山:大学一年の時にオペラの授業を受けたんです。
70人ぐらい授業を受けていて、その中からキャストや舞台美術、衣装、メイクなどのグループに分かれて一年間かけて準備して秋ごろに公演するんです。

—その時のオペラは?

畠山:ヨハン・シュトラウスII世のオペレッタ『こうもり』です。
大学一年の春だから、まだ何も分からない状態で、声楽の先生に『こうもり』のDVDを借りたんですよ。
そのDVDを部屋で再生すると、暗がりにオーケストラピットが映り、遠くのほうからトコトコと指揮者が歩いてくるんです。
で、客席に向かってお辞儀をします。盛大な拍手がブワーッ!
拍手が鳴りやむか鳴りやまないかぐらいで振り返っていきなりバーン!って指揮を始めるんですよ。
「うわっ!!」と思って、その時初めて「指揮、かっけー!」って思ったんです。

その指揮者の名前が、カルロス・クライバーっていうんですけど、今でも僕が一番好きな指揮者なんです。
その時に指揮というものに魅了され、いいなあと思いました。

—大学の吹奏楽部でも指揮者をされたんですよね?

畠山:吹奏楽部では二年次に「副」の付くポストを担うわけですが、僕は副指揮者を絶対やろうと思って。
大学一年の冬に副指揮者になって、いよいよ吹奏楽部の中だけど指揮者活動というのが始まったわけです。

大学では音楽の授業も沢山受けましたが、大学三年から研究室に入ることになり、ちょうど渡部勝彦先生が指揮を教えて下さるので、そこから渡部先生との師弟関係が始まりました。

—渡部勝彦先生といえば、山形交響楽団常任指揮者をされたり、ラジオ番組「渡部勝彦の音楽レストラン」のパーソナリティーをされたりと、宮城県を中心に幅広くご活躍の指揮者ですね。
渡部先生に教わったことで印象的なことは?

畠山:エピソードといえば、当時吹奏楽の授業があったのですが、金曜朝の10時半から始まるんですね。
50人ぐらいいる受講生の椅子をひとりで全部並べろと先生に言われました。
「10時半から始まるけど、畠山は10時に来てセッティングしなさい。みんながスムーズに入れるように。」って。
それを一年間続けましたね。
なぜそんなことをさせたかは先生から言われなかったけど、すごく重要なことを学んだ気がするんですよね。

—いいお話ですね。
先生からは技術的なこともいろいろ教わったのでしょうか。

畠山:もちろん基本的なことは一から教わりましたが、実際に「ここはこうだ」とかテクニックを教わったことは一回もないですね。
作曲家のこと、楽曲のことなどですね。
指揮者と指揮者がぶつかった時に技術的な話はしない気がします。

—先生のお手伝いもされていたのですか?

畠山:そうですね。先生が指揮をする現場には一緒にくっついて歩いて、自分の小さいスコアを持っていって先生の指揮を見て勉強しました。
見て盗んで、っていう世界ですよね。あまり多くは語ってくれなかったと思います。

—プロフィールにある、もう一人の畠山さんの恩師ダグラス・ボストックさんには、やはり桐朋時代に出会ったのでしょうか?

畠山:ボストック先生のマスタークラスが東京で開催される時に、桐朋の先輩から紹介してもらって参加するようになりました。
そこからダグラス・ボストック先生のレッスンを受けるようになって。

—ダグラス・ボストックさんはイギリスの指揮者で、東京佼成ウインドオーケストラの首席客演指揮者を務めたこともある方なんですね。スイスのアールガウ・シンフォニー・オーケストラの常任指揮者で、各地の大学で教鞭をとっておられるとか。
どんな先生なのですか?

畠山:日本の教育って、正解があったらみんな同じ方向に向かせようとする傾向にあると思います。
でも、ボストック先生のマスタークラスを見ていると、それぞれの個性をもっと良くするためにはこうした方がいいっていう考え方なんですよ。
その人の良さを引き出すっていうのはいいですよね。
ボストック先生はその都度レッスンで集まる人たちをファミリーと呼ぶんです。
“grow each other”ってよく言ってますね。お互いに成長していく。

指揮台に上っている時間より他の指揮者が振っているのを見た時のほうが収穫が多いって、みんなよく言うんですけどまさにそれが実感できる。
すごくユーモアがあっていい先生です。
4月にまたボストック先生のマスタークラスのためにスイスに行ってきます。

—このところ毎年のように、ボストック先生のマスタークラスに参加されているのですね。

畠山:2015年にシンガポールに行くまでは、マスタークラスはボストック先生が東京にいらした時だけ参加していたんですけど、マスタークラスどうこうより、海外に出ることのほうが音楽の勉強になっています。人も全然違うし。さんざん英語には苦労してますけど(笑)。

—このあたりで、畠山さんのプライベートなことも伺いたいです。例えばご趣味とか・・・。

畠山:ワインですね。
好きなワイン探しにいって、お肉を焼いて一緒に飲んで食べる。それが一番リラックスします。

—どんなワインがお好きなんですか?

畠山:『マルベック』という葡萄の品種が好きです。アルゼンチンでよく作られる葡萄なんですよ。

—どういう味なんでしょう?

畠山:マルベックはすごく濃くて、黒ワインって呼ばれるぐらいなんです。
銘柄によってばらつきはあるんですけど、きれいな赤っていうより黒に近いような色のワインです。味は基本的にフルボディで、かなり重たいです。
特に牛肉にはよく合いますね。ローストビーフとか。あとブルーチーズとか。

—お好きな映画はありますか?

畠山:「ダ・ヴィンチ・コード」が好きです。
謎解きが好きで。ダン・ブラウンの作品が好きなんですよね。
音楽系では、「海の上のピアニスト」がすごく好きです。

最近では「オケ老人」を観に行きました。面白かったですよ。
僕もたまにシルバーオーケストラの指導するんです。杖ついたおじいちゃんが椅子に座るやいなや杖置いてヴァイオリン取り出すんですけど、演奏は達者なんですよ。すげぇなぁ!って。

—指揮することの楽しさついて、教えて頂けますか?

畠山:指揮者って自分一人では音を出せない。
指揮台に立って振ることによって音は出るけれど、楽器が生身の人間なんですよね。
自分は人間が好きなんですよ。人間が好きで、何かを一緒に作る感覚が好きなんだと思います。
今までやってきたのが音楽だから、指揮っていうものが好きなんだと思います。

人と向き合って同じ時間同じ空間で何かものを作る過程で、言葉を発しないでやりとりするのがうまくいった時に繋がった感覚っていうのがすごく多いし、そういうことで得た達成感っていうのは何にも替えられないじゃないですか。それこそ、プライスレス!みたいな感じですよね。
それが指揮をやってて一番楽しいと思える瞬間。
コンサートはそこにお客さんもついてくるし。そういう感覚ですね。

僕は絵本読むのも好きなんですよ。読み方もそれっぽく読む自信があるんです。
緊張感とか距離感とか、朝なのか夜なのか?そのセリフは怒っているのか?
そういうのを想像しながら読むのが好きで、音楽の楽譜もそういう風に見える。
楽譜が語っているストーリーを自分の態度・表情とかで、オーケストラやお客さんに伝えるのが指揮者の喜び・醍醐味・仕事ですね。

—逆に、指揮者の大変さはどのようなことですか?

畠山:やっぱりスコアを読み取ることが必要になってくるし、パッと譜面開いて出来るようなものでもないですよね。
例えばリハーサルが二時間あったとして、その二時間のために何時間準備しなきゃならないか。
家で机に向かって勉強している時間のほうが圧倒的に長いので、大変なのは読み込む時間ですね。

一教えるのに十知らなきゃいけないって言いますけど、指揮者の大変さは何十人というオーケストラを二時間拘束する中で、みんなに有意義な時間を過ごしてもらいたいなって思うから、そのために準備しなきゃいけないから・・・それが難しいんですよね。

—インタビューの最後に、今後の展望や、どんな指揮者になりたいかについて教えて頂けますか?

畠山:僕としてはもっともっと多くの人に知ってもらえるような存在になりたいっていうのがあって。
多くの人に知ってもらって、コンサートに足を運んでもらえるようにと思っています。
指揮者としてのキャリアはまだまだだから、もっと研鑽を積んで、大きいホールで沢山のお客さんに来てほしいというのはあります。

—どうもありがとうございました。


インタビュー・文:三嶋令子(Cheer Up!みやぎ編集長)
※この記事の著作権は「Cheer Up! Project」に帰属します。

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