【エッセイ】石原勇太郎の「Aus einem Winkel der Musikwissenschaft」第5回:吹奏楽の「原典版」の不思議な話


原典版ってなんだろう?

 

「原典版」という言葉、聞いたことありますか?

―あ!知ってる!保科洋さんの《風紋》だ!

そうです!そうです!
吹奏楽に携わる人なら、おそらく誰もが知っている保科洋先生の名作《風紋》。
1987年に発表された「課題曲版」と、1999年に発表された課題曲の長さに合わせて削った部分を戻した「原典版」がありますね!

実は、その他にも「原典版」と称される吹奏楽作品は案外たくさんあるようです。

…こんなことを言うと、今流行りの(?)クレーマーのようで嫌なのですが、この「原典版」という言葉の使い方、基本的に吹奏楽での使い方は間違っています!

わたしは常々、吹奏楽は閉じた世界ではなく、広く音楽の一部である開かれた世界だと信じている(信じたい!)ので、基本的な言葉の使い方も全体と合わせるべきだと感じています。
そう考えてくださっている方々が、吹奏楽の分野にもたくさんいらっしゃることはよく知っていますので、今回はあえて、ここのところの暑さも忘れるほど背筋の凍る、少し危険な話題に触れようと思います…!

●そもそも原典版って…?

―そんなこと言うなら「原典版」ってなんなんだ!?

原典版とは簡単に言えば「作曲者の意図を正しく反映していると考えられる原典(資料)にもとづいて校訂された出版楽譜」のことです。

それでは吹奏楽で使われている原典版という言葉の、なにが間違っているのでしょうか?
そして、原典版を称する吹奏楽作品にはどのような特徴があるでしょうか?

《風紋》の場合、原典版は課題曲の時間の都合で泣く泣く削除した部分を復活させたものでした。

つまり、作曲者の本来の意思を反映させた楽譜だから「原典版」と呼んでいるのですね。
私の調べた限りでは、日本の吹奏楽作品で原典版を名乗っている作品の多くは《風紋》と同じような理由のようです。

英語で考えてみると《風紋》の原典版は「Original Version」、あるいは「Primary Version」とでも呼べそうです(《風紋》を販売している保科先生の公式サイトの英語版でも「original version」と書いてあります)。

海外の音楽関係者がこれを見た時に、おそらく多くの方は日本語の「原典版」と同じ意味にはとらえないでしょう。なぜなら、本来の「原典版」と言う語は、英語では「Urtext」というドイツ語をそのまま使用するためです。

●作曲者の意志は変わる?

原典版が必要とされるのは、簡単に言ってしまえば、作曲者の意思が時によって変わっているからです。

例えば、スケッチをしている段階、スコアを浄書した段階、出版された段階、演奏された段階の4つの段階で、作品に対する意思に全く違いがないということは、少なくとも西洋芸術音楽(クラシック音楽)の作曲家には見られないことです。
つまり、西洋芸術音楽の作曲家の作品は、つねに最初の自筆譜が正しいわけではないということです。
さらに、出版された楽譜と自筆譜の間の違いは、出版社のミスということもあれば、作曲者による修正という場合も考えられます。

このように楽譜には問題がとても多いため、わたしも専門としている「音楽学」の一流の研究者は、様々な楽譜はもちろん、作曲当時の手紙や日記、さらには演奏記録など、ありとあらゆる情報を調査し、その研究者なりの考えのもとに楽譜を作成します。そのように作られた楽譜を、わたしたちは「原典版」と呼んでいるのです。

そこに、作曲者自身の直接の関与はありません。なぜなら、作曲者はすでに亡くなっているためです。
そうです、基本的に「原典版」が作曲者の生前に作られることはありません!

仮に日本の吹奏楽作品のように「作曲者が出版に関わったから、真に作曲者の意思が反映されている」と言えるとしても、作曲者の意思が今後も変わらないという保証はありません(いくら本人が「変わらない」と述べたとしてもです)。

●原典版の大切な要素

そして、原典版を称する楽譜には、もうひとつ必要な大切な要素があります。
それは「校訂報告」と呼ばれるものです。

先程述べたように、原典版は基本的に音楽学者の手(このような人を「校訂者」と呼びます)によって作成されます(最初の原典版の説明で「校訂された出版楽譜」と書いたのはそのためです)。つまり、その校訂者の調査結果によって、原典版の内容も変わる場合があるということです(というよりもよほどのことがなければ変わらなければおかしいのです)。
そのため、原典版を作成した校訂者は、原典版の楽譜に必ず「校訂報告」を付けます。場合によっては楽譜とは別に校訂報告だけが出版される場合もあります。

校訂報告では、
・作品の成立などの歴史的事実
・どのような楽譜がどのような状態で残されているか(あるいは失われているか)(資料評価)
・その原典版ではどの楽譜を主な資料として使用したか(資料の優先順位)
・資料によって異なる記譜がされている小節は、その音を選択した根拠を示す一覧(校訂報告一覧)
などが掲載されています。

校訂者が絶対的に正しいなんてことはないため、校訂報告を読んで、その楽譜の価値をわたしたち自身で判断することができるようになっているわけです。

原典版を名乗る楽譜の中にも(特に古い物には)、このような校訂報告が付いていない場合もあります。しかし、現代ではこの校訂報告の付いていないものは原典版と呼ぶに値しないと言っても過言ではないかもしれません。

実は、日本で出版されている吹奏楽作品の中でも、真の意味で原典版に近づいているものがあります。

●G.ホルスト《吹奏楽のための第1組曲》《同第2組曲》(日本楽譜出版社)

2014年に日本楽譜出版社から出版されたG.ホルストの《吹奏楽のための第1組曲》と《同第2組曲》は、原典版を名乗っています。
これは、作曲家の伊藤康英先生がホルストの自筆譜を調査した結果を反映した楽譜で、確かに原典版を名乗ってもおかしくはない楽譜です。

なぜなら、残念ながらポケットスコアには十分な校訂報告は付いていませんが、ItoMusicから出版されている大型のスコアには、校訂報告書が別冊で付いているようです。

このように、日本の吹奏楽の分野で正しい意味での「原典版」という語を使用した楽譜が登場しただけでも、今後原典版という(なんとなく正統そうな)名前を安易に用いる出版社や作曲者が減るのではないかと期待しています。

●それじゃあ吹奏楽の「原典版」はどうするの?

―原典版の意味はわかったけど、吹奏楽ですでに使われているものはどうしたらいいの??

たしかに、その通りです!
が、これは結構簡単に解決します。

一般に、作曲者自身が作品の改訂などを行った場合「稿(ドイツ語でFassung)」という言葉で区別することがあります。
つまり、《風紋》の場合は現行の「課題曲版」は「1987年稿」で、現行の「原典版」は「1999年稿」(あるいは単に「オリジナル・バージョン」でも良いのかもしれません)と呼ぶことができるわけです。
実は《風紋》の場合は、1987年稿よりも前に1999年稿が存在していた可能性もあるので、そこについては慎重に調査しなくてはならないでしょうが、少なくとも100年後に吹奏楽を研究対象とする学者が《風紋》を見たら、おそらく「稿」という名称を用いるのではないかと思います(なぜなら、必要であれば、彼ら後世の学者が本来の意味での原典版を作成するでしょうから)。

ともかくも「原典版」という言葉は、もうずいぶん昔から―それこそ、わたしの生まれる前から―西洋芸術音楽の分野では違う意味で使われていましたし、吹奏楽の分野でわざわざ別の意味で捉える必要もない言葉ですので、そろそろ正しい認識で使用してほしいなと陰ながら切に願っています。

「言葉は時代とともに変わる」という意見もあるかもしれません。
それは確かにそうですが、専門的な用語というのは、よほど大きな社会全体の思想の変化がない限り起こりません。

「吹奏楽だから…」という意見も、吹奏楽を広い音楽の世界から隔離しているに過ぎません。
今やその垣根は無くなり、吹奏楽も西洋芸術音楽も音楽の1ジャンルとして認識されているわけですから、みなさんひとりひとりが、言葉の使い方を少しだけ注意してみてください。それだけで、すぐに意識は変わってゆくことができるはずなのです。

原典版について、より詳しく知りたい方は以下の著作を参考にしてみてください。
特に『原典版のはなし』の樋口先生と『ベートーヴェン研究』の児島先生は、ヨーロッパでそれぞれJ.S.バッハとL.v.ベートーヴェンの原典版作成に深く関わった学者なので、その経験から原典版について触れてくれています。

樋口 隆一(1998)『原典版のはなし』(全音楽譜出版社)
児島 新(1998)『ベートーヴェン研究』(春秋社)
村田 千尋(2000)『音楽の思考術 より深く音楽を知るための実践的技法』(音楽之友社)
沼口 隆 他(2010)『楽譜を読む本 感動を生み出す記号たち』(ヤマハミュージックメディア)

今回はなんだか少し固いお話しになってしまいましたが、たまにはこういうのもいいかなと…

次回からはまた少しゆるく進めてゆきたいと思います。
それでは!

~♪~♪~♪~

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alla.arama.a.br@gmail.com

同じくWind Band Press上で連載していました「石原勇太郎の【演奏の引き立て役「曲目解説」の上手な書き方】」もよろしくお願いいたします!(第1回の記事はコチラ


※この記事の著作権は石原勇太郎氏に帰属します。


石原勇太郎氏 プロフィール

ある時は言葉を紡ぎ、またある時は音を紡ぐ音楽家見習い。東京音楽大学大学院修士課程音楽学研究領域修了。同大大学院博士後期課程(音楽学)在学中。専門はオーストリアの作曲家アントン・ブルックナーと、その音楽の分析。論文『A.ブルックナーの交響曲第9番の全体構造――未完の第4楽章と、その知られざる機能――』(2016:東京音楽大学修士論文)『A.ブルックナーの交響曲第8 番の調計画――1887 年稿と1890 年稿の比較と分析を通して――』など。
公式サイト:https://www.yutaro-ishihara.info/
Twitter ID:@y_ishihara06

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