【エッセイ】石原勇太郎の「Aus einem Winkel der Musikwissenschaft」第3回:カット ― 犯人は○○さん、あなたです

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成田山新勝寺。これまた修繕中…

 

明けましておめでとうございます!
2017年の年末のご挨拶をすることができないまま、新年を迎えてしまいました。
年末年始、いかがでしたか?

2017年は、あっという間に過ぎてしまい、2018年もすぐに年末を迎えることでしょう…こんな話をしていたら鬼に笑われそうですが。

しかし、時間そのものや、時間の流れというのは、音楽をやっている人にとっては考えるべき大切なことなのではないかなと思ったりします。

音楽は「時間」を必要とする芸術。そのため、哲学や美学の分野では「音楽的時間」というものの研究が長らく行われてきました。「音楽的時間」というのは、私たちの日々の生活において、常に共にある「(日常的)時間」とは別のものです。
おっと、今日はこの「音楽的時間」についてお話しをするわけではありません!「音楽的時間」について詳しく知りたい方は、椎名亮輔『音楽的時間の変容』(現代思潮新社, 2005)や、少し古いですが堀月子『芸術作品と時間』(九州大学出版会, 1993)などを読んでみてください。面白いですよ!

さて、私が吹奏楽の世界と、音楽、そして時間というキーワードを与えられたときに、真っ先に思いつくのは「カット」についてです。カットと言えば、読者の皆様はすぐにお気づきになるのではないでしょうか?

―ああ、あれね…

そうです、コンクールの時期に時々話題になるカット!

カットについては、それこそ著名な作曲家の方々や吹奏楽指導者の方々、顧問の先生や音楽ライターの方々など、本当に様々な方々が、様々な意見を持っていて、時に論争になることも…

―カットなんてしたら音楽の流れがおかしくなる!カット反対!カット反対!

―いやいや、カットしたとしても良い作品に触れることが教育には大切なんだ!

―コンクールの制限時間にとりあえず合わせなきゃ…

ああ、こんな泥沼のような争いに首を突っ込むのは危険かも…

危険を回避するわけではありませんが、ここでは私個人のカットについての持論や、カットの良し悪しについて議論するのはやめましょう。その代わり、時々巻き起こるカット議論を見る度、私の脳裏を過る19世紀のとある作曲家の作品におけるカットの問題について取り上げることにしたいと思います。
今回は、音楽学の分野で「何かを明らかにするため」の手続きのほんの一端をお見せできるはずです。私からのお年玉です!探偵になった気分で読んでみてくださいね!
まずは、下の画像を見てください。

【※1】

画像の中で、赤枠で囲ってある「Vi-de」という楽語、見たことありますか?
これは「viからdeまでカットしても良い」という指示をする際に書き込まれる楽語です(「Vi-」の後に書かれている「Kurzung bis Pp」というのも同じような意味で「練習番号Ppまでカット」と書かれています)。

上の楽譜は、オーストリアの作曲家、アントン・ブルックナーの《交響曲第8番》の「初版譜」です。
「初版譜」と言うのは、作品が初めて出版された際の楽譜のことで、場合によっては作曲者が亡くなった後で初版譜が出る場合もあります。しかし、ブルックナーの《第8番》の初版譜の出版は1892年。ブルックナーが亡くなるのが1896年なので、ブルックナー生前に出版されたのがわかります。
つまり、ブルックナーの生前に出版された楽譜では、曲中にカットの指示がなされていたわけです。どうですか?なかなか珍しいですよね?
しかし、初版譜に印刷されたこのカット。ブルックナー自身による指示かと言うと、実はそうとは簡単には言えないのです…

【※2】

この手書きの楽譜は、ブルックナーの自筆譜です。先程の初版譜と同じ個所を載せていますが「vi-」の指示が見当たりません。

そう!初版譜のカットの指示は、自筆譜にはなく初版譜で初めて登場するのです!
では、この指示、初版譜を作る際にブルックナーが追加したのかと言うと、それもまた疑わしいもので…

実は、初版譜はブルックナーの弟子が深く関わっていて、場所によっては「オーケストレーションの変更」までされています!(あれ、これもなんだか聞き覚えが…うっ…頭が…

ブルックナーの生前出版された初版譜の多くは、この「弟子による改訂」が多々行われていました。
信じられるでしょうか!師匠の書いたものを書き変えて出版してしまうのです!

さて、ここから話がややこしくなります…

初版譜のカットの指示。これが完全に弟子によるものなのか、それともブルックナーの意志を取り入れたものなのか、それはまだ明らかではありません。そこで、今度はブルックナーが書いた手紙を見てみることにしましょう。

子ども[《交響曲第8番》のこと]の将来は、最初の演奏の成功に掛かっています(ニキシュ殿[指揮者、アルトゥール・ニキシュのこと]も同じことをおっしゃっています)。繰り返しになりますが、あなた様の心からの恩情をお願いいたします。最終楽章は、大きな短縮があります。この長さゆえに、短くしてくださるようお願いいたします。【※3】

この手紙は、《第8番》の初演を担当する予定だった指揮者のフェリックス・ワインガルトナーに宛てて、1890年10月2日にブルックナーが書いたものです。最終楽章(第4楽章)にカットの指示を出していますね。それでは、もう一通見てみましょう。

《第8番》の様子はどうでしょうか?すでにリハーサルは行ったのでしょうか?どのような響きがしましたか?最終楽章は指示した通りに短くしてください。なぜなら、最終楽章は長すぎますし、この楽章はもっと後になって、私の友人や私を支持してくれる人たちにのみ理解されるものなのです。(明確にするためにも必要と考えるのでしたら)、テンポも自由に変更してください。【※4】

こちらも同じくワインガルトナーに宛てた手紙で、1891年1月27日に書かれたもの。ここでもまた、第4楽章をカットするように(しかも、下線で強調までして!)お願いしています。「最終楽章はもっと後になって、私の友人や私を支持してくれる人たちにのみ理解される」という言葉も興味深いですが、ここではおいておきましょう。さて、さらにもう一通…

あなたのオーケストラの必要に応じて[オーケストレーションを]変更してください。しかし、総譜は変更しないでください。印刷に回す際も、オーケストラの声部を変えずにそのままにしておいてください。これは、私の心からのお願いです。[…]最終楽章の短縮を、どうぞ受け入れてください。そうしなければ、最終楽章は長すぎるもの、そして、とても悪いものになってしまうのです。【※5】

これは1891年3月27日、ワインガルトナーに宛てたブルックナーの手紙。一体ブルックナーはどれだけ第4楽章をカットしてほしかったのでしょうか!!

ブルックナーが手紙の中でしつこくお願いしているカットと、初版譜に印刷されたカットが同一のものかは、これらの手紙だけではわかりません。それでは、こんどはブルックナーの手紙ではなく、《第8番》の初版譜に深く関わったブルックナーの弟子であるヨーゼフ・シャルクの手紙を見てみることにしましょう。

一週間の苦労の末に、私はついに[《第8番》の]最終楽章の総譜を、すぐに印刷に回せるものにしました。これは簡単なことではありませんでした。私が絶対に必要だと感じている複数の変更は、これでもかというほどの良心を通してのみ、義と認めることができました。これらの変更は、明確な効果や表現の意図を簡単に認識できるようにしています。さらに、私は幸運にも([第4]楽章の最も興味深い2つの部分を犠牲にする作曲者による指定の代わりに)、24番の手稿譜の、最後のページから練習番号Ppまでという、最も適切で、簡単に実行することのできるカットを見出しました。私のカットでは、比較的不必要であるクレッシェンドと、長いコラール風の第2グループが失われています。【※6】

この手紙は、シャルクが《第8番》の初版譜出版に向けて一緒に働いていた、ブルックナーの弟子のひとりであるマックス・フォン・オーバーライトナーに宛てて、1891年7月31日に書いた手紙です。

おやおや、なんだか雲行きが怪しい…?
さらに、証拠を増やしてみましょう。シャルクが編曲したピアノ連弾用の《第8番》です。

【※7】

お気づきでしょうか?シャルクによるピアノ連弾編曲では、なんと「vide」の指示どころか、その部分がまるまるカットされています!その証拠に、練習番号Kkの後がすぐにPpとなっています。
オーバーライトナーに宛てた手紙の中で書いているように、シャルクは「最も適切で、簡単に実行することのできるカット」として、初版譜のカットを提案していたことは間違いないようです。

ここまで来たら時計型麻酔銃で探偵役を眠らせて、蝶ネクタイ型変声機で声を変えてかっこよくこう言うだけです。

「犯人はシャルクさん、あなたです!」

今回見てきたように、吹奏楽の世界だけではなく、いわゆるクラシック音楽の世界でも、カットについて色々な問題があります。

楽譜や手紙から、音楽の謎に迫る手続きの一端(本当に一端なのですが)、どうでしたか?探偵のようなこの作業、より本格的になるとより複雑で大変な作業が待っていますが、案外面白いものですよ!

それでは、2018年が皆様にとって良い年になりますように!

【※1】
Anton Bruckner “Symphony No.8 c-Moll.” Max Steinitzer ed. (Eulenburg, 1912), pp.201,207.
(https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/30702)
【※2】
Anton Bruckner “Symphony No.8 c-Moll.” [Holograph manuscript], pp.110.(https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/263116)
【※3】
Andrea Harrandt & Otto Schneider, eds. “Briefe: Band II 1887-1896” (Musikwissenschaftlicher Verlag, 2003) pp.87.
(筆者訳・[ ]内は筆者による註釈)
【※4】
同上pp.114.
(筆者訳・下線はブルックナー自身による)
【※5】
同上pp.128.
(筆者訳・[ ]内は筆者による註釈・下線はブルックナー自身による)
【※6】
Thomas Leibnitz “Die Bruder Schalk und Anton Bruckner.” (Hans Schneider, 1988) pp.276.
Paul Hawkshaw “VIII. Sym,phonie c-Moll: Fassungen von 1887 und 1890: Revisionsbericht.” (Musikwissenschaftlicher Verlag, 2014) Band I, pp.25-26.
(筆者訳・[ ]内は筆者による註釈)
【※7】
Anton Bruckner “Symphony No.8 c-Moll.” Josef Schalk ed. (Haslinger, n.d.) pp.66-67.
(https://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/62646)

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石原勇太郎氏 プロフィール

ある時は言葉を紡ぎ、またある時は音を紡ぐ音楽家見習い。東京音楽大学大学院修士課程音楽学研究領域修了。同大大学院博士後期課程(音楽学)在学中。専門はオーストリアの作曲家アントン・ブルックナーと、その音楽の分析。論文『A.ブルックナーの交響曲第9番の全体構造――未完の第4楽章と、その知られざる機能――』(2016:東京音楽大学修士論文)『A.ブルックナーの交響曲第8 番の調計画――1887 年稿と1890 年稿の比較と分析を通して――』など。
公式サイト:https://www.yutaro-ishihara.info/
Twitter ID:@y_ishihara06


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