黛敏郎初のジャズCD発売! スクリーンに炸裂する青春のビートリズム! CD「黛敏郎 日活ジャズセレクション」4月19日発売!




音楽CD、コンサートプロデュースをてがけるスリーシェルズは、日活映画会社の原盤提供によるCD「黛敏郎 日活ジャズセレクション」を4月19日に発売する。

黛敏郎の日活映画ジャズがCD化!
リズム、スピード、エネルギー!スクリーンに炸裂する青春のビートリズム!
CD「黛敏郎 日活ジャズセレクション」4月19日発売!

和ジャズファン、シネジャズファンのマストアイテム完成!
このCDは、日活映画で黛敏郎が作曲した61作の映画BGMで現存する1502トラックの音源より
厳選されたジャズセレクションである。

クラシック、現代音楽、電子音楽など様々なジャンルに精通する黛敏郎の映画音楽から、
ジャズ的なフィーリングがきわだつトラックを選曲。

ブルーコーツのピアニストとして活躍し、ジャズイディオムを活用した現代音楽を発表した黛らしい
輝かしくもクールなジャズから、ユーモアあふれるダンスホール系ジャズまで幅広く収録。
これまで知られにくかったジャズメンとしてのマユズミの才能がいま明らかになる!

CDタイトル「黛敏郎 日活ジャズセレクション」
発売予定 2017年4月19日
発売レーベル:スリーシェルズ
CD品番 3SCD0030
バーコード番号 4560224350306
価格:2,778円(税抜)(税込:3,000円)
作曲:黛敏郎
収録曲数:52曲(映画27作品から)
企画構成解説:西耕一(スリーシェルズ)
マスタリング:仁木高史(スリーシェルズ)
デザイン:橘川琢
協力:日活、宇都宮弘之
原盤:日活株式会社(C)日活株式会社

収録曲目
01 幕末太陽傳 M-2-6
02 四季の愛欲 M-13-4
03 四季の愛欲 M-14-4
04 四季の愛欲 M-22・24A・26
05 続夫婦百景 M-13
06 続夫婦百景 M-17
07 果しなき欲望 M-3
08 不道徳教育講座 M-7
09 不道徳教育講座 M-18
10 才女気質 M-15-1
11 密会 M-1-2
12 密会 M-10
13 学生野郎と娘たち M-2-2
14 学生野郎と娘たち M-8
15 青年の樹 M-4-1
16 狂熱の季節 M-1-2
17 狂熱の季節 M-2-3
18 狂熱の季節 M-4-2
19 狂熱の季節 M-8-2
20 狂熱の季節 M-9-1
21 狂熱の季節 M-16-2
22 あした晴れるか M-6
23 あした晴れるか PS-101-1
24 豚と軍艦 M-2
25 豚と軍艦 M-12
26 あいつと私 M-14-1
27 憎いあンちくしょう M-3-1
28 憎いあンちくしょう M-10-3
29 当りや大将 M-11
30 若くて悪くて凄いこいつら M-2
31 若くて悪くて凄いこいつら M-5
32 若くて悪くて凄いこいつら M-14
33 泥だらけの純情 M-7
34 泥だらけの純情 M-14
35 何か面白いことないか M-2-2
36 月曜日のユカ M-1-1
37 月曜日のユカ M-12-2
38 黒い太陽 M-D
39 黒い太陽 M-F-2
40 私、違っているかしら M-10
41 私、違っているかしら M-21-3
42 愛と死の記録 M-19
43 アジア秘密警察 M-15
44 アジア秘密警察 M-23
45 非行少年 陽の出の叫び M-2-2
46 非行少年 陽の出の叫び M-6
47 経営学入門より ネオン太平記 M-4-1
48 経営学入門より ネオン太平記 M-19-2
49 私が棄てた女 M-2-1
50 私が棄てた女 M-5-1
51 アラブの嵐 M-5
52 アラブの嵐 M-30

※収録曲はマスターテープ劣化に起因するノイズがございます。御了承くださいませ。

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各映画の監督と公開情報
幕末太陽傳[監督:川島雄三/1957年7月14日公開]
四季の愛欲[監督:中平康/1958年6月10日公開]
続夫婦百景[監督:井上梅次/1958年11月4日公開]
果しなき欲望[監督:今村昌平/1958年11月18日公開]
不道徳教育講座[監督:西河克己/1959年1月9日公開]
才女気質[監督:中平康/1959年4月15日公開]
密会[監督:中平康/1959年11月11日公開]
学生野郎と娘たち[監督:中平康/1960年2月21日公開]
青年の樹[監督:舛田利雄/1960年4月29日公開]
狂熱の季節[監督:蔵原惟繕/1960年9月3日公開]
あした晴れるか[監督:中平康/1960年10月26日公開]
豚と軍艦[監督:今村昌平/1961年1月21日公開]
あいつと私[監督:中平康/1961年9月10日公開]
憎いあンちくしょう[監督:蔵原惟繕/1962年7月8日公開]
当たり屋大将[監督:中平康/1962年8月26日公開]
若くて悪くて凄いこいつら[監督:中平康/1962年9月9日公開]
泥だらけの純情[監督:中平康/1963年2月10日公開]
何か面白いことないか[監督:蔵原惟繕/1963年3月3日公開]
月曜日のユカ[監督:中平康/1964年3月4日公開]
黒い太陽[監督:蔵原惟繕/1964年4月24日公開]
私、違っているかしら[監督:松尾昭典/1966年7月29日公開]
愛と死の記録[監督:蔵原惟繕/1966年9月17日公開]
アジア秘密警察[監督:松尾昭典/1966年12月10日公開]
非行少年 陽の出の叫び[監督:藤田繁夫/1967年6月3日公開]
経営学入門 ネオン太平記[監督:磯見忠彦/1968年4月13日公開]
私が棄てた女[監督:浦山桐郎/1969年9月3日公開]
アラブの嵐[監督:中平康/1961年12月24日公開]


黛敏郎とジャズについて

このCDは日活映画で黛敏郎(1929-1997)が音楽を担当した映画より、ジャズ的な要素が強い音楽をセレクションしたものである。黛敏郎はジャズだけでなく、電子音楽、ミュージカル、バレエ、シンフォニー、オペラ、歌謡曲など様々なジャンルへ作曲をしている。司会と企画構成を担当したテレビ番組『題名のない音楽会』は「ベートーヴェンから浪速節まで」とキャッチコピーがついていたほどに幅広い内容で毎週放送されていた。
黛敏郎の幅広い創作・活動ジャンルのなかでも「ジャズ」は特に重要な部分を担っている。東京藝大の前身である東京音楽学校の学生のころから、進駐軍のクラブでピアノを演奏していた経験は、その後の黛のさまざまな作品にも反映されている。1945年の終戦から解禁され、進駐軍と共に圧倒的に広がっていった「ジャズ」。それは新鮮かつ、若いエネルギーの象徴であったろう。黛敏郎自身も、その魅力に取りつかれ、ダンスホールに仲間と遊びに繰り出し、ジャズをエンジョイしていたし、ミュージシャンとしてもジャズオーケストラ「ブルーコーツ」に、ピアニストとして一年ほど在籍して、演奏・編曲などを担当して身体にジャズをなじませていた。その経験は実作にも反映されており、ジャズを取り入れた現代音楽を発表して、学生時代から注目された。たとえば18歳の黛敏郎が作曲したピアノとドラムスのための『オール・デウーヴル』(1947)はブギウギ、ルンバ、ラグタイムなどを斬新にとりいれたアヴァンギャルドなサウンドが知られる。これは、いまでも古びることない強烈な音楽である。同級生の矢代秋雄は「飛んでもない!」と驚きの感想を残している。いくら戦後の自由な時代とはいえ、日本のクラシック音楽界の牙城としてアカデミックの頂点を極めて、それを学び、普及させるはずの東京音楽学校の生徒が、それをぶち壊そうという音楽を作曲したわけだから、驚きだけでなく、周囲の反応も予想されよう。黛敏郎が自分で演奏したという初演では、会場から失笑も聴かれたという。しかし、黛敏郎はさらに奮起して、アヴァンギャルドの歩みを進める。その後の音楽学校卒業作品『10楽器のためのディヴェルティメント』(1948)でもジャズやラテンの要素をちりばめつつ、クラシック的な構成感ももって仕上げており、当時の日本クラシック界に鳴り物入りのデビューを果たした。この曲は、その後すぐにSPレコードにもなっており、若手作曲家としては異例の注目と活躍。「アプレゲール(戦後世代)の反逆児」と呼ばれたこともあった。東京音楽学校を卒業するとすぐに、フランスへ留学して、最新の現代音楽を学び、それと同時にシャンソンなどのポピュラー音楽も吸収して、本格的な活動を開始する。
帰国後には、現代音楽とジャズを融合させたオーケストラ作品としてラテン打楽器やサックスを大胆に取り入れ、ビッグバンドジャズの爆発的なエネルギーを管弦楽へ異化させた《饗宴》(1954)が知られている。アメリカで指揮者のバーンスタインが紹介して世界で話題を呼んだ。ちなみに「ウェストサイドストーリー」は1957年初演であり、黛敏郎からインスパイヤされたのではという話もある。《饗宴》と同じく、ジャズ語法を特化させた《トーンプレロマス55》(1955)では、オーケストラから弦楽器を排除して、それこそ完全にビッグバンドのホーンセクションを増強したようなマッチョかつ、ブリリアントなサウンドで聴き手を圧倒した。この《トーンプレロマス55》では、途中で当時流行した「マンボ」が引用される部分もあり、斬新なユーモアセンスにも驚かされる。

 


黛敏郎 日活ジャズSELECTIONについて

このCDは、『幕末太陽傳』から『私が棄てた女』まで、時間でいえば1957年から1969年までの12年間に黛敏郎が担当した映画から集められた「黛ジャズ」が収録されている。
「黛敏郎」のジャズ作品集としてまとめているが、映画の内容をイメージしつつ聴くのも良し、「黛敏郎」を離れて、音楽だけの魅力を堪能してリスニング用としてカーステレオや携帯音楽プレーヤーで聴くも良し、ともかく聴いてスゥイングして、ビートリズムに身を委ねて楽しめるようセレクションしたつもりである。とはいえ、時折、ジャズを逸脱する黛センスにも注目していただければと思う。


プロフィール

黛 敏郎 Toshiro MAYUZUMI(1929-1997)

1929年(昭和4年)2月20日、横浜生まれ。東京音楽学校(東京藝術大学)で橋本國彦、池内友次郎、伊福部昭等に師事。1948年(昭和23年)に作曲した「拾個の独奏楽器の為のディヴェルティメント」により才能を認められる。1950年(昭和25年)作曲の「スフェノグラム」は、翌年のISCM国際現代音楽祭に入選して海外でも知られるようになる。1951年(昭和26年)パリ・コンセルヴァトワールへ留学、トニー・オーバン等に学ぶ。フランスから帰国後、ミュージック・コンクレートや日本初の電子音楽を手がけた。1953年(昭和28年)芥川也寸志、團伊玖磨と「3人の会」を結成。また、吉田秀和等と「二十世紀音楽研究所」を設立。雅楽・声明をはじめ、日本の伝統音楽にも造詣を深める一方、交響曲、バレエ、オペラ、映画音楽等の大作を発表した。1964年(昭和39年)より、テレビ番組「題名のない音楽会」の企画、出演。東京藝術大学講師、茶道「裏千家淡交会」顧問、評議員。「日本作曲家協議会」会長、「日本著作権協会」会長などを歴任した。
「涅槃交響曲」(1958)で第7回尾高賞、「BUGAKU」で第15回尾高賞を受賞。
主な作品に「ルンバ・ラプソディ」(1948)、「饗宴」(1954)、「曼荼羅交響曲」(1960)、「シロフォン小協奏曲」(1965)、オペラ「金閣寺」(1976)、「KOJIKI」(1993)、バレエ「The KABUKI」(1986)「M」(1993)他がある。ピアノ曲は、「前奏曲」「金の枝の踊り」「天地創造」などがある。
ISCM入選(昭和31、32、38年)。毎日映画コンクール音楽賞(昭和25、32、38、40年)。毎日演劇賞(昭和33年)。ブルーリボン賞(昭和40年)。仏教伝道文化賞(昭和50年)。紫綬褒章(昭和61年)。
1997年(平成9年)4月10日逝去。

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