「プロの演奏家は『コミュニケーター』じゃないといけない」マリンバ奏者:名倉誠人さんインタビュー






(※アイキャッチ画像 (c) Shige Hikari)

神戸出身で、現在はニューヨークを拠点として世界的に活躍されているマリンバ奏者の名倉誠人さん。

1994年、権威あるヤング・コンサート・アーティスツ国際オーディション(ニューヨーク)に、マリンバ奏者として史上初めて優勝。

日本では1990年に日本演奏連盟賞を受け、関西フィルとのコンチェルトで、ソロイストとしてデビューしています。

また同時代の作曲家とマリンバのための新作を創出するために、2001年、ISGM新曲委嘱基金を創設、現代の作曲家による新しいレパートリーを世に送り出すほか、教育活動にも情熱を注いでいます。

今回は名倉さんが一時帰国されたタイミングで、子供の頃の話から現在の活動まで色々とリモートでお話を伺いました。


梅本:
本日はどうぞ宜しくお願いいたします。まずはマリンバを始められたきっかけを教えて下さい。

名倉:
小学校3年生の時に、学芸会で器楽合奏をしてたんですね。私はその時は縦笛の担当だったんですけども、他の子が「バス木琴」を演奏していて。非常にマリンバに近い楽器なんですけども、その音を聴いた時に「これを絶対やりたい!」って(笑)。すぐに両親に頼んで楽器を買いに行って、個人レッスンを受けるようになったのが始まりです。

梅本:
もうその頃には楽器を!

名倉:
そうですね。神戸の元町にある楽器店にマリンバなんかも置いてあって、そこで買って、先生も紹介してもらって。

梅本:
ほお~(驚)!では次に、「マリンバのここが好き!」というところを教えていただけますか?

名倉:
子供の頃は今言ったように音に惹かれたということがあります。今でも音には惹かれているんですけども、大人になってマリンバの素晴らしさをあらためて考えた時に、例えば他の楽器、ピアノやヴァイオリンをやっていたら、過去の大作曲家の作品を演奏することで一生を費やすと思うんですよ。それが、マリンバや打楽器には過去の大作曲家の作品がないですから、これから新たに、いま生きている作曲家と一緒になって音楽を作っていかなきゃいけない。私自身もそういう活動を多くしていて、音楽が出来る一番最初から関わることができることって演奏家としてあまり体験できることではないと思うんですよね。

(他の楽器だと)何百年も前に書かれた作品をやることが多いと思うんですけど、マリンバをやっているおかげで、五線紙に筆を落とす段階から音楽の創造に関わる事ができるということは、素晴らしいことだと思っていて。それは本当にマリンバをやっていたおかげだなあと思いますので、そこがマリンバの特に好きなところです。

梅本:
ありがとうございます。後ほどマリンバについてはまた掘り下げてみようと思いますが、先に名倉さんのバックボーンをもう少し伺いたいと思います。現在ニューヨークを拠点に活動されていますが、いつ頃から、どんなきっかけでニューヨークを拠点とするようになったのでしょうか。

名倉:
ニューヨークで「ヤング・コンサート・アーティスツ国際オーディション(YCA)」というコンクールがあって、そこでマリンバ奏者として初めて優勝したんですね(注:それまでマリンバ奏者がYCAで優勝したことはなかった)。それが1994年だったんですけども、あのコンクールのユニークなところは、優勝したらそれで終わりではなくて、その後に、演奏家が世の中でやっていけるように、何年間もマネジメントをしてくれるんですね。何十年も続いている団体で、そこでマリンバ奏者として初めて優勝して、その後にアメリカ中で演奏会を入れてくれて、ニューヨークでデビューリサイタルをしたり、ワシントンD.C.でデビューリサイタルをしたり、オーケストラと協奏曲をしたり、ということが始まったので、それ以来アメリカで演奏活動をするようになっています。

梅本:
YCAがきっかけだったということですね。

名倉:
そうですね。それまで僕は留学したのは英国王立音楽院だけだったので、アメリカで勉強したことはなかったんですね。ただそのコンクールがあるから絶対受けたほうが良いと言われて、受けたら優勝して、それ以来アメリカで活動の場が広がったから、この機会を逃したら一生後悔すると思ったんですよ。当時はまだ東京でフリーランスとしてやっていたんですけど、打楽器のフリーランスの奏者よりは、僕は子供の頃から「マリンバ奏者」になりたかったわけですから、その夢を実現するためにはこの機会を逃したら一生後悔すると思って、移住することになったんです。

梅本:
いま英国王立音楽院のお話も出ましたけれども、学生時代は日本にいらしたわけですね。

名倉:
大学は武蔵野音楽大学の大学院まで行きました。東京に10数年いましたね。大学院にいる時に、ちょっと英国王立音楽院に行ったんです。それでまた大学院に戻ってきて論文を書いて修了して。

梅本:
名倉さんが主に10代~20代頃はどのような学生でしたか?

名倉:
僕は音楽高校とかに行ったわけではないんですよね。小学校3年生でマリンバを始めたと言いましたけれども、そのあとすぐにピアノも始めて、将来は音楽大学に行く、と小学校の頃から決めていました。

中学校は神戸大学の付属の中学校で、高校は兵庫県立神戸高校というところで、両方とも進学校なんです。だから同級生はみんな勉強のできる人ばかりで、優秀な人が多かったです。ですので、別に中学や高校で音楽専門の学校に行ったわけではなくて。音楽家の方は音楽高校に行かれた方も多いですよね。

でも僕はそうしなくて良かったなと思ってるんです。なぜかというと、特に高校の同級生は優秀な人が多くて、今でも僕のことを助けてくれるんです。神戸の高校なのですが、いまは東京で働いている人もとても多いですから、東京でリサイタルをしても、大学の同級生よりも高校の同級生がいっぱい来てくれたりするんですね。それってすごくありがたいことで。

それから一番良かったのは、高校生の段階くらいまでは、いろいろな勉強をしておいたほうが絶対に良いと。僕は音大の先生なんかもやったことがあって、入学試験を見ていると、入学試験に関して言えば音楽高校に行っていたほうが有利だとは思うんですよ。それに対する勉強を集中的にやっているからね。でもその後、音楽大学に行って専科を卒業して、どういう演奏家になるかということを考えた時に、やっぱりもっといろいろな力を持っていないと、世の中でやっていけない。一つの楽器が上手です、というだけでは足りないんですよね。そういうことを考えると、やはり普通科の高校でいろいろなことを勉強するのはとても大事なことだと思っていて、そういう意味では中学高校で優秀な人たちと一生懸命いろいろな勉強をしていたのはすごく良かったと思っています。

Wind Band Pressの読者の方には吹奏楽をやってらっしゃる方も多いと思うんですけど、私は吹奏楽にはあまり関わってなかったんです。中学校で少し吹奏楽をやっていましたが、コンクールに出るような部活ではなくて割と呑気なもんで(笑)、吹奏楽の世界ってなんかすごいじゃないですか、スポーツみたいな(笑)。でもそういう世界を知らずに済んで、高校生のときには「音楽で食べていく」と決めていたので部活には入らずに、家で練習してたりしましたね。そういう生活でした。あとはみなさんと同じように勉強して。

梅本:
学生時代は部活ではなくて個人レッスンなどでマリンバと関わっていたということですね。

名倉:
高校のときは音楽大学を受験するためにソルフェージュの勉強をしたり、ピアノのレッスンにも行かないといけないし、マリンバだけじゃなくて小太鼓の試験もあるからそのレッスンに行ったり、あとは楽典の勉強とか。色んな所にレッスンに行かないと行けなかったですね。東京の音大に行こうと決めていたので月に1-2回は神戸から東京にも行って先生に見てもらっていましたし、そういう感じでしたね。

梅本:
その頃を振り返ってみて、想い出深いエピソードなどはありますか?

名倉:
高校の同級生がよく言ってくれるのは、神戸の国際会館というところでうちの高校が音楽会をやっていて、オーディションがあって、ソロでやっている人なんかはそれに出させてもらえたりするんです。僕は高校3年生のときに絶対にソロでやるぞと思って、実際に出ました。運動部の人とかは全国大会がどうこうとか活躍するのですが、僕なんかはそれまで皆さんからは「一体なんなんだろう」と思われていたと思うんですけど(笑)、国際会館の舞台で一人でやった印象を強く持っている同級生は多いですね。今でもその話をしてくれます。

梅本:
ありがとうございます。次に、日々の練習の際に心がけていることや気をつけていること、または重点を置いていることがあれば教えて下さい。

名倉:
それも年齢によって変わってきましたね。大学生の頃はスケールを弾いてエチュードを弾いて、ということに時間を費やしていたわけですが、プロの演奏家としてやるようになってからは、なんかね、テクニックよりは音楽の内容のことにもっと時間を費やすようにしようと思うようになって。スケールとかエチュードはある年齢からしなくなりましたね。

朝は毎日バッハを演奏することから始まるんですが、それが1時間くらいです。それをやっていればスケールやエチュードをやる必要がないなあと思うようになって。その後にリサイタルで演奏する曲だとかを練習するようにしていますが、朝はバッハと向き合う時間を必ず作っていますね。

梅本:
ありがとうございます。次に演奏家・表現者としての活動についてのお話です。例えば音楽に取り組む際の基本的な姿勢、演奏会で舞台に上がるにあたって、また後進への指導などについて、現在お考えになられていることがあれば教えていただきたいと思います。

名倉:
プロの演奏家というのはやっぱり「コミュニケーター」じゃないといけないと思っていて、そういう段階まで行けるようになるためには、かなり経験を積まないといけないと思っているんですね。

家で練習して、舞台で演奏して、というのは発表会のようなものですけれども、それって今まで自分がやってきた成果を舞台の上で出すということだと思うんですが、それだけでは表現者とは言えないと思っていて。何かを伝える、聴いている人とコミュニケートできるような演奏をする、そういう力を養うには舞台の数を踏まないと。何回も何回もいろんな場所でいろんな条件の中で演奏を重ねることによって、どういう風に聴衆とコミュニケートしていくかということを分かっていくためには、時間と経験が必要だと思うんですね。

ただそれはなかなか教えられることでもないし、自分が経験していく中で得ていくことだと思っています。

私も日本でも演奏しますけれど、アメリカでもYCAで優勝してからアメリカの北から南まで隅々まで行って、中には「日本人なんて見たことない」というようなところへも行って、小学校・中学校・高校なんかを回ったりもしました。そんなときは「日本人なんて見たことない人たちのところへ日本人が変な楽器を持ってやってきた」状態なわけですよ。体育館とか教室とか、音響が悪いところにもたくさん行きました。そういうところでも何かを伝える。良い響きのところで何かを伝えるのはまだ簡単だと思うのですが、音響効果も何もないようなところで伝えるのはもっと大変だと思うんですよね。それでも何かを伝えるという場を持てたことは、コミュニケーターとしての能力を養うにはとても役に立ったと思います。

梅本:
いまお話いただいた部分で、例えばコミュニケーターのお話などですが、そういうようなお考えにつながっていくような「転機」のようなものはございましたでしょうか。

名倉:
一番それを感じるようになったのは、アメリカに行っていろんなところで演奏するようになってからですね。一人で知らない国に行って、誰も知り合いもいない国を飛行機で飛び回って、という経験が一番の契機だったと思います。

梅本:
バイオグラフィーを見ると、2001年に、ISGM新曲委嘱基金を創設されていますね。これによって同時代の作曲家の作品を取り上げることも多いと思いますが、最近の演奏会などの情報を見ると、バッハも多い印象がありますね。同時代の音楽、そしてバッハの音楽、それぞれに惹かれるものがあると思うのですが、その辺のお話をお伺いできますか。

名倉:
ISGM新曲委嘱基金というのは、さきほど少し話が出ましたけれども、マリンバというのは何しろオリジナル作品が少ない楽器なので、いま生きている作曲家と一緒になって新しい作品を作っていかないといけない。それはもう、マリンバ奏者としての一番大事な仕事だと思っていて。大学を出た頃から常に取り組んでいたんですね。

ただ委嘱をするにはお金もかかりますし、大きな作品になればなるほど高額になりますでしょ?委嘱にお金を何十万円払いました、というのは別に良いんですけど、その作品は自分のものになるわけではなくて、それは作曲家の持ち物であるし、死後何十年と経ってからベートーヴェンのように皆の持ち物になるので、お金を払っても自分のものになる瞬間ってないんですね。

初演する権利はありますし、何年間は自分だけが演奏するという契約も出来ますけど、例えば「100円の鉛筆を買いました、この鉛筆は自分のものです」という状態にはならないわけですよ。そう考えた時に、演奏家個人で苦慮しながら曲を書いてもらうよりは、最終的に皆の持ち物になるんであれば、皆で委嘱するようにすればいいじゃないと思って、私は後援会もあるので、「今度こういう演奏会でこういう作曲家にこういう曲を書いてもらいたいから皆さんで委嘱料を協力してもらえませんか」というのがISGM新曲委嘱基金というものです。

それのおかげで、のべ400-500人の方から寄付を頂いて、非常に多くの作品、協奏曲のような大きな規模の作品も何曲も委嘱して演奏できるようになったと。なおかつそれが今後のマリンバ奏者の財産になっていく、それがISGM新曲委嘱基金の活動です。私の活動の中で一番大事な活動で今でも続けていますが、さきほども言ったように、子供の頃から僕はバッハが大好きなんですよ。

バッハの音楽というのは抽象的な音楽で、もともと書かれた以外の楽器で演奏しても音楽の質が損なわれることがないくらい堅牢な音楽だと思うんです。なので、例えばヴァイオリンのために書かれたバッハの作品をマリンバで演奏しても、音楽は壊れない。

なおかつバッハは楽器の音色に頼って音楽を書いていない。例えばショパンのピアノ曲だったら、ピアノの技術や音色に頼ってショパンは書いていると思うんだけれども、バッハの場合はある楽器を想定して書いていないことも多いし、その楽器じゃないとその音楽が表現できないということもないので、そういう意味ではバッハの楽譜をマリンバで演奏することは非常に良いと思っています。

ですので、「好きだ」ということと、今言った2つの面があるので、バッハも必ず演奏会で取り上げるようにしていたんですね。これを長年やっているので、最近は現代作品とバッハが並列するようなことが出来ないかと、10月にも「バッハ・パラレルズ」という演奏会を企画しました。パラレルというのは並行という意味ですね。私の中で現代のオリジナル作品を作ることと、バッハをどう演奏するかということは2つの柱としてあります。なので梅本さんからもその2つが見えているんだと思います。

もちろん現代の作品とバッハの作品では違いはものすごくあると思います。バッハを演奏する時と現代音楽を演奏する時、演奏家としての姿勢はまるで違います。そのあたりはしっかり分けて取り組まないと話にならない。バッハの17世紀の時代性、音楽様式、社会の様子、そういうものを理解しないと、バッハを演奏してもバッハの音楽に聴こえないから、それはちゃんと考えてやらないといけないですし、逆も然りで、現代作品を演奏する時に、バッハやモーツァルトをやるときと同じようにやっても全然面白くなかったりするんですよ。現代作品をやるときはやるときで、時代様式であるとかその時代の考え方とか、我々はその時代を生きているわけですから、それを考えてやらないと。バッハをやるときは全然違う態度になりますね。

梅本:
ありがとうございます。これまでたくさんの生徒さんを教えてきていると思いますが、Wind Band Pressの読者の中には、マリンバを含めて鍵盤打楽器を始めたばかりの吹奏楽部の生徒さんや、中には鍵盤打楽器だけでなくピアノの経験すらない人もいるかもしれません。鍵盤打楽器を練習しはじめたばかりの人に、上達のポイントや楽しみ方などを教えていただけたらと思います。

名倉:
鍵盤打楽器が打楽器の中でもユニークなのは、メロディやハーモニーを演奏できるということがありますね。なので太鼓系とはだいぶ違った部分があります。そういう意味では、歌を歌うかのように。打楽器だから叩くだけ、リズムだけ、ではなくて、ちゃんと歌を歌えるようにしたいですね。それを考えた練習をしてほしいです。例えばグロッケンでフルートとどこかでユニゾンで動くとして、フルートが歌うかのように、グロッケンも歌うかのように演奏できる。そういうことを考えながら練習するとうまくいくんじゃないかなあと思います。

梅本:
ありがとうございます。次で最後の質問です。名倉さんの今後の予定や目標について教えてください。

名倉:
新作委嘱活動というのはいつまで経っても魅力的で、いろんな作曲家と出会って「ああこの人は面白い世界を持っているなあ」という出会いがあるのでずっと続けていきたいと思っています。

ただマリンバのレパートリーを増やす仕事は、私一代で出来る仕事ではないとずっと思っていて、何世代も何百年もかかってやっとクラシック音楽の中で認められる楽器になると思うんですね。

クラリネットなんかもモーツァルトの時代にできて、協奏曲や五重奏曲を書いたり、ブラームスが五重奏曲を書いたり、何百年もかかって、今ではクラリネットといえばクラシックでは当たり前の楽器になっていますが、それと同じように、マリンバもクラシック音楽の世界で認められるためには十年二十年では絶対に無理なんです。

やはり百年二百年の単位がかかると思っているので、私の命がある間は新しい良い作品を優れた作曲家と一緒に作っていこうとは思っていますけども、それだけでは絶対に足りないんです。私の後の世代にもそういう活動を続けていってもらわないと、マリンバっていうのはクラシック音楽の中で認められる立場になっていかないから、それは若い人たちにも非常に強調して、こうした新曲委嘱活動をしてほしいと言っています。

その一部として、委嘱活動をして演奏もしていますが、録音をする、出来た作品をきちんとした録音をする。今の時代はそれこそYou Tubeとか、誰でもどんな演奏でもいろんな人の目につくように発信できますけど、やはりちゃんとした場所でちゃんとしたエンジニアが録った音って違うと思うんですね。培ってきた録音技術というものもあります。

今まで頑張って作ってきた作品をちゃんとした形で残していきたいということもあって、今はCDを買う人も少なくなって時代は変わっていますが、ちゃんとした録音をしないとダメだ、と思っていますので、それも今後やりたいことのひとつです。

あとはバッハをマリンバで演奏することによって演奏家として感じたことは、現代作品を演奏していたときと比べて、お客様の拡がりが違うんです。若い頃はマリンバのために書かれたオリジナルの現代作品ばかりで演奏したこともあったんですが、そういうときの聴衆と、最近の(プログラムにバッハを入れた場合の)聴衆とでは、拡がりが全然違うんですね。そういった面でもバッハの力はすごいなと思っていて、もっとマリンバのことを知ってもらう活動もしたいなと思っています。


取材・文:梅本周平(Wind Band Press)


インタビューは以上です。名倉さん、お忙しい中ありがとうございました!

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■名倉誠人 プロフィール

名倉誠人は、彼の世代を代表するソロ・マリンバ奏者として、四半世紀にわたり国際的な活動を繰り広げている。「我々の時代の音楽」を常に追求する彼の姿勢に応え、各国の作曲家達から、多くの作品が捧げられてきた。それらの作品を中心に、自身の編曲によるクラシック作品も交えた独創的なプログラムは、この楽器の全く新しい地平を切り拓くものとして、世界各地の聴衆から驚きと賞賛を獲得している。

1994年、権威あるヤング・コンサート・アーティスツ国際オーディション(ニューヨーク)に、マリンバ奏者として史上初めて優勝して以来、全米41州における彼の演奏は、常に熱狂的なスタンディング・オヴェイションで応えられている。ニューヨークのカーネギー・ワイル・ホールやワシントンのケネディー・センターを始め、全米で多くのリサイタルを行う一方、ニューヨーク室内交響楽団、シカゴ・シンフォニエッタ、カリフォルニア交響楽団等、各地のオーケストラとマリンバ協奏曲を演奏。近年には、ベンジャミン・ボイル作曲の「マリンバ協奏曲」をモントリオール室内管弦楽団と世界初演した。室内楽におけるマリンバの可能性も開拓し、リンカーン・センター室内楽協会や全米各地の室内楽音楽祭での演奏をはじめ、様々な楽器のソロイストと頻繁に共演をしている。

彼の演奏活動は、CBSテレビの「サンデー・モーニング」の中でフィーチャーされ、全米に放送された。「信じられないほどの才能。その驚くべき色彩感とニュアンスの広がりは、名倉を特別な存在としている。」(ロサンジェルス・タイムズ紙)等、各紙から絶賛されている。

英国、フランス、イタリア、ドイツ、チェコ共和国、韓国、香港、ベトナム、カナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンなど、世界各地15カ国においても、多くのソロ活動を行ってきている。近年では、ベルリン・フィルハーモニー・ホールで行った、真島俊夫作曲マリンバ協奏曲の欧州初演や、パリでのリサイタル、そして英国BBCラジオで生放送されたマリンバと混声合唱のための「森の三章」など、好評を博している。

日本においては、1990年に日本演奏連盟賞を受け、関西フィルとのコンチェルトで、ソロイストとしてデビュー、その後、東京文化会館をはじめ、全国各地で多くのリサイタルを行っている。サントリーホール、神戸新聞松方ホールなどで、全委嘱作品によるリサイタルを多数開催。「森と木の音楽」と題するリサイタルシリーズも続けている。神戸市出身。打楽器合奏団パーカッション・グループ72のメンバー。

「全委嘱作品によるリサイタル」で、文化庁芸術祭新人賞を受賞、また、米国BMI財団よりマリンバ作品委嘱プロジェクトを任されるなど、現代の音楽のアドヴォケートという姿が明らかになっている。ほかにも、第一回Kobe Art Award大賞、第一回松方ホール音楽賞大賞、青山音楽賞バロックザール賞、神戸灘ライオンズクラブ音楽賞を受賞。英国王立音楽院より、卓抜した音楽活動を行う音楽院出身者にのみに贈られる栄誉、ARAMも受けている。

教育活動にも情熱を注ぎ、英国王立音楽院、イーストマン音楽院、サンパウロ州立大学、ソウル国立大学、香港演藝學院など世界各地の大学をはじめ、全米の約70校の大学で、マスタークラスを行ってきた。また、日米の小・中・高等学校を訪れ、これまでに数十万人の子供達のために演奏してきている。京都市立芸術大学では、六年間教鞭を取った。

他分野の芸術との共演も数多い。アメリカン・バレー・シアターのバレエ『Marimba』の独奏マリンバ(ニューヨークのシティー・センターで共演)、小泉八雲の「青柳ものがたり」をイメージ投影と音楽で綴る企画(日本各地及びニューヨークで上演)、チリの詩人ネルーダの作品朗読と共演する「海の呼びかけ」(NHKテレビによって全国放映)、「美術と音楽の出会う場所」と題する演奏会(兵庫県立美術館)、近年では、合唱とマリンバの為に三カ国の作曲家に委嘱した「森の三章」(日米英で上演)、朗読を交えた「枕草子プロジェクト」を創出。積極的なコラボレーション活動を繰り広げている。

2001年に、ISGM新曲委嘱基金を創設。独奏曲・協奏曲・室内楽曲を網羅する、マリンバのための作品を、世界各地の作曲家に委嘱し、優れた音楽財産を数多く次世代に残す活動を続けている。

CDは、全委嘱・世界初録音作品を収録した、「リチュアル・プロトコール」、「トリプル・ジャンプ」、「田辺恒弥マリンバ作品集」、「森と木の音楽」と、名倉自身の編曲によるバッハ作品を収録した、「バッハ・ビート」、「バッハ・ビートII」が発売中。2018年には、最新CD「涙と祈り」が、オクタヴィア・レコードよりリリースされ、日本プロ音楽録音賞を受賞するなど、絶賛を受けている。また、名倉誠人マリンバ編曲作品集・第一巻「バッハのコラール」が、風の音ミュージックパブリッシングより2020年7月に出版された。




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